2018年8月7日6 分

回復を速めてくれたものたち④ ノート

最終更新: 2020年5月26日

私のリカバリーを加速してくれたものたち22選の解説(第4回)です。

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今日は「ノートに書き出す」ことについて書きます。

あたまの中にわき起こったあれこれをノートに書き出すというのは、多くの方が日常的にやっていることと思います。

あたまの中のごちゃごちゃを紙の上に吐き出すことで、すっきりしたり、ちょっと冷静かつ客観的にそれらの考え事を見つめられるようになったりします。

そのようなことを、専門用語で「外在化」と言ったりしますね。

「外在化」して紙の上に「視える化」することで、あたまの中を占めていたことの解決法が見えてくることもあります。

また、複数の思考を頭の中だけで扱うのではなくて、いったんノートという「作業台」の上に並べることで、ひとつずつ落ち着いて処理することができるようにもなります。

ノートに書くということには、ほとんど、いいことしかありません。

「スマートノート」を始める

私は2010年に離婚して、少し落ち着いてきた2011年2月ごろから本格的にノートを使い始めました。

きっかけは、岡田斗司夫さんという方が当時提唱されていた「スマートノート」に、「ああこれいいなあ」という印象を抱いたことです。

「スマートノート」では、ノートの見開きを1単位にします。

右側のページに考え事を書き出して、それに対し「なぜ?」「そうするとどうなる?」といった質問を書き加え、それらに対する答えをひたすら書いていく、というやり方だったように思います。

すると「ああ、この悩みはこういうことだったのか」みたいな発見や納得に至ります。

見開きの左ページには、右ページで「納得」「発見」したことを一言で要約したり、絵に描いたりすることが勧められていました。

参考までに、私の当時のノートをお見せします。

2011年5月の、ある日のノートです。

お題に「6月することがない件」とあります。暇だったようです(笑)。

このノートによると、何回かの「なぜ(そう感じるか)の自問により、私は「することがないと感じるのは、やることをやったからだ」という結論に達したようです。

さらに(することがないと)どうなる」という自問をしたところ、「ミスする」「(やる気がでないのでルーチンワークを)先送りにする」「(仕事が)テキトーになる」という未来を予測していますね。

それらのうち、「ミスする」と「テキトーになる」という未来については、人に助けてもらったり、肩の力が抜けたりするいい機会になるのでは、とポジティブに捉えようとしているのが分かります。

そして、「先送りにする」ことだけは避けるべく、「先送り系塩漬けタスクを先に処理すべき」という解答を自分に与えています。

まとめとして、私は左ページに絵を描いています。

そこには、「主訴くん」という喚き散らすロボットのようなもの、「みぬくさん」という私好みの女性(爆)、そしてネズミ男のような格好をした「すなおくん」という、3つのキャラクターがいることが分かります。

「主訴くん」というのは、私の中の、「6月することがない件」というお題を言い出した部分です。

現在の私の言葉でいうと、満たされていないインナーチャイルドみたいなものです。

(ちなみに「主訴」というのは医療福祉業界の用語で、「その人がほんとうに言いたいことであるかどうか現時点ではよくわからないけれど、とにかく一生懸命おっしゃっていること」くらいの意味です。対話を勉強している現在では、あんまり好きな言葉ではなくなっています。)

対して「みぬくさん」は、そんな内なる子どもの私の「ほんとうに言いたかったこと」を見抜いてくれる存在です。理想の母親像かもしれません。

(私がデコルテフェチというのがばれてしまいとても恥ずかしいです・・・。ちなみに、いまの私の中には「みぬくさん」はいません。かわりに、「ソーシャルワーカーとしての私」が、内なる子どもの私と対話をするようになっています。)

最後に「すなおくん」ですが、これは「みぬくさん」に分かってもらえて嬉しい、素直な(子どもの)私です。

「すなおくん」の手に「主訴くん」のパペットがいるのにお気づきでしょうか。

「主訴くん」は、「すなおくん」が気持ちを表現するための(拙い)方法のひとつだったのですね。

要するに、この日の私の悩みというのは「5月まで超がんばったことをほめてほしい!」ということだったんですね。

それを最初から素直に言えていればよいのですが、それができればアダルトチルドレンではありません。いちど「6月超ヒマなんだけど~」という回りくどい表現をしてしまうんですね。注意を引きたくて。察してほしくて。

左ページには、そういう私の「こころの構造」がマンガになっています。

タイトルは「ほめられてぇーー」(笑)。

このように、「スマートノート」は私のあたまの中身を「外在化」し「視覚化」し、さらにはその「こころ」の内なる構造をマンガ化までさせるという効果がありました(学生時代に漫画研究会に入っていてよかった・・・)。

こういうことを続けていくと、人の考え方や行動はだんだん(いいふうに)変容していきます。

そう、これはほとんど認知行動療法なんですよね。

2018年現在のノート体制

私は現在はこのようなノートはつけていません。

かわりに、以下の2種類のノートをつけています。

  • こころに浮かんできたこと&実現したらいいなということを何でも書きつけるノート

  • 具体的な考え事を書き出したり処理したりするノート

「無意識ノート」と「意識ノート」、あるいは「こころノート」と「あたまノート」と言ってもいいかもしれません。

無意識ノート(こころノート)には、とにかく浮かんできたことをそのまま書きます。どんなアホらしいことでも、邪悪なことでも、突飛なことでも、否定したりツッコミを入れたりせずそのまま文字にします。

「10億円」とか「妻とニコイチになりたかった!」とかです。

他方で、意識ノート(あたまノート)では、「スマートノート」時代にやっていたような、簡単なお悩みを書いて整理とか、今日やることの順位付けとか、そのような実務的なことを書いています。

スマートノートでお悩みを解決しようとしなくなったのには、いくつか理由があります。

ひとつは、スマートノートのような認知行動療法的なアプローチで取り扱えるのは、あくまで日常的なお悩みのレベルまでだから、ということがあります。

日常的なお悩みは、減ってはいくものの、次から次へと湧き上がってもきます。

あるいは、具体的なお悩みが起きていないときも、「次のお悩みが起きるに違いない」という暗い気持ちや警戒するような感覚は消えませんでした(私の場合)。

それは、そのような日常的なお悩みは「生きづらさ」という源泉から湧き上がってくるものだからです。

私はここ3年ほど、日常的なお悩みは「その背後に、それを生じさせている”生きづらさ”があることを示すサイン」だと考えるようにしています。

そして、むしろその「生きづらさ」自体を処理することにしてきました。

その「生きづらさ」の源泉に名前をつけてくれた、私にとって初めての存在が「スキーマ療法」でした。

「スキーマ療法」でいう「早期不適応スキーマ」こそ、私のあたまの中の、日常的なお悩みや生きづらさの発生源だったのです。

この「スキーマ療法」についてはまた改めて書きたいと思います。

今日も読んでいただいてありがとうございます。明日もうれしいこと楽しいこといっぱいあるといいですね!

関連記事:回復を速めてくれたものたち⑪ スキーマ療法

関連記事:回復を速めてくれたものたち⑤ 加藤諦三さんの本

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