2018年11月16日7 分

回復を早めてくれたものたち⑩ EMDR

最終更新: 2020年5月26日

フィリピン・タガイタイの夕焼け(2016年5月)

私のリカバリーを加速してくれたものたち22選の解説の(第10回)です。

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こんにちは、ふゆひこです。今日は「EMDR」について書きます。

「EMDR」とは

EMDR」とは「Eye Movement Desensitization and Reprocessing」の頭文字で、日本語訳は「眼球運動による脱感作と再処理法 」です。

EMDRは科学的に効果の実証された治療法で、特にトラウマ(PTSD)の治療に有効です。(詳しくは日本EMDR学会のサイトをご覧ください。)

私の言葉で平たく説明すると以下のようになります。

通常の「体験」は、脳の中で「記憶」という形にまとめられ、「過去」というタンスに整理されます。

しかし、つらすぎる体験(トラウマ)は、タンスに整理されず、居間に散らかりっぱなしのような状態になります。体験の一部または全部が「あのときの恐怖」「あのときの匂い」「あのときの光景」といった生(ナマ)の情報のまま、居間に転がっているのです。

ふとしたときに、それらが目に入ったり鼻についたりして、「あのときの恐怖」が蘇ることがあります(フラッシュバック)。

EMDRは、それら「バラバラの生の情報」を「記憶」としてタンスに整理しようとするものです。

おもしろいのは、その作業を「眼球の運動」や「身体の左右に交互に刺激を与えること」を通じて行うところです。

脳や神経に刺激を与えることで「整理」を行うのです。

カウンセリング等のような言葉による作業(トーク・セラピー)ではないので、主観的には、なぜ楽になるのか不思議な感じがします

しかし、終わってみると、確かに「トラウマがどこかへ行った」ような感じがするのです。

利用に至るまで

私が「EMDR」を知ったのは、2013年にNHK教育の『ETV特集 トラウマからの解放』という番組を見たことがきっかけでした。

その番組では、犯罪被害者のご遺族や虐待を受けた子どものトラウマがEMDRによって和らいでいく様子が紹介されていました。

(外部リンク:クローズアップ現代+でも同内容が放送されていたようです。

その放映の少し後、2014年の年明けに、私は二度目の「燃え尽き症候群」となり休職しました。

これを機に、私は危機感を持ってリカバリーに取り組むようになりました。前回お話した自助グループを利用し始め、さらにEMDRも受けてみることにしたのです。

私は、2012年ごろ加藤諦三さんの本を読んで以来、「自分がされていたことは虐待だったのではないか」と思うようになっていました。

また、周期的な気分の変調にも悩まされていました。

自宅でイライラや孤独感が昂じ、1週間ほど喋らなくなるという現象が、2週間おきに起こっていました(自分では月1回ペースと思っていたのですが、記録をつけていた妻によると、月2回ペースだったとのことです)。

私は、自分の課題に本格的に向き合うなら精神医療ではなく臨床心理学の助けが必要と思っていました。そして、上記のような状況から、それはカウンセリングやシンプルな認知行動療法ではなくて、もっと他の何かだとも感じていました。

『トラウマからの解放』で「EMDR」を見たとき、私は「これだ!」と思いました。

EMDRの門を叩く

私が2014年の2月ごろ門を叩いたのは、個人開業しているEMDRの専門家でした。

幸いなことに、まだまだ数が少ないEMDRの専門家(しかも熟練者)が、自宅から通える範囲にいたのでした。

「幸い」とは書いたものの、そのときの私の気持ちは「降参」といった感じでした。

「自分一人の力では回復できない」と認めざるを得ない、惨めな気持ちがしました。心理士さんから「紺屋の白袴」とバカにされるのではないかと、ビクビクしながら部屋に入ったのを覚えています(今となっては、「降参」したのが良かったのだと分かります)。

私は2週間毎にその相談室に通いました。

始めの数回で、生育歴やトラウマティックなエピソードの聴き取りと、それらの整理をしました。

これは、治療のターゲットとなるトラウマエピソードや、その順番など、治療戦略を決めるためのものです。

費用が毎回1万円ほどかかったため、もどかしかったですが、自分の来し方を整理したのは初めてだったので、面白く感じてもいました。

また、うまく思い出せないことが多いのにも驚きました。きっと「抑圧」していたのだと思います。

回が進むに連れ、子ども時代の細かなエピソードを思い出せるようになっていきました。

そして、いよいよEMDRを実施することになりました。

眼の前には、横長の黒い機械。こちらの方を向いて、小さなLEDのランプがずらっと並んでいます。

左右の手には、LEDの光に連動して交互に振動するバイブレータを握ります。

私は心理士さんの誘導にしたがい、過去の特定の場面をイメージします。

イメージを特定すると、それを保持しながら、往復移動するLEDの光を目で追います。両の掌中に振動の刺激も感じながら、私はイメージの中に新たに現れる、過去の自分の気持ちを感じていきました。

「感情」を発見する

はじめは、「何も感じない」というのが正直なところでした。

過去のつらかった場面を思い返しているのに、そこに「感情」がないのです。

しかし、あるとき私は胸のあたりが「動く」のを「感じ」ました。

それは「怒り」でした。

私はそのとき、幼少時に関わりのあったある人物に対するマグマのような怒りが無尽蔵のように私の中に「ある」ことを感じました。

これが感情か・・・!」と私は思いました。自我に目覚めたロボットみたいですけど、本当にそう思いました。

発見したその「怒り」を手がかりに、その特定のエピソードについてEMDRで「処理」し終わると、私は自分が奇妙な静寂の中にいるのを感じました。

そのエピソードに関しては、私はもう「怒っていない」のです。

悲しかったことは出来事はあった。

しかし、それはもう「過去の記憶」。

主観的にはそんな感じがしました。

このとき私は、「なるほどー」と唸りました。

「トラウマ的エピソードの一つ一つに対して、本当は強い感情があるが、無意識下に抑圧している。それを解放して、別のイメージで上書きすればいいのかー!」

と、単純に考えました。

何回かのEMDRセッションの後、私は「そうだ、実家に帰って直接この感情をぶつければ一気にカタがつくのでは」と思いました。

いま考えると、「早く治って再就職せねば」と焦っていたんですね。

その思いつきを心理士さんにメールすると、すぐに返事が来て止められました^^;

その後、私のEMDR利用は3ヶ月間ほどでいったん終結することになります。これは、心理士さんの体調不良と私の再就職とが重なったためです。

もっとも、トラウマ的エピソードが次から次へと「発掘」されており、全てを処理しようとするとものすごい費用になっていたであろうため、上記の事情がなくても続けられていたどうかはわかりません。

EMDRが私にくれた変化

上記のように私の「EMDR」治療はごく短期間で終結しました。

EMDRが私にくれた一番おおきな変化は、「感情」をキャッチできるようになったことです。

これ以後、私は「ああ、これが怒りね」「これは悲しみ」と、だんだんと自分の感情が分かるようになっていきました(逆に言うと、それまではほとんど分かっていませんでした)。

また、EMDRは「トラウマ」「感情」「無意識」「記憶」「イメージ」といった「自分の”生きづらさ”を理解し解消するための補助線」を与えてくれました。

この後しばらく、私のリカバリーは「トラウマ治療」的な性格が強くなります(「スキーマ療法」へと至ります)。

(関連記事:回復を速めてくれたものたち⑪ スキーマ療法

他にも「EMDRを利用して良かったなあ」と思うことがあります。

それは、心理士さんとの出会いです(EMDRとは直接関係ないかもですが)。

私がお世話になった熟練の心理士さんは、私が子ども時代に体験したことについて、「子どもが体験するには過酷なこと」とはっきり言ってくれたのです。

私は、親の怒りや嘆きについても、ずっと「自分のせい」と思ってきました。心理士さんは、そのことに対しても「それは親自身の情緒の問題」と言ってくれました。

私と親の課題を分離してくれたのです。

私は「ああ、やっぱりそうだっだのか!そうだよね!!」と、ホッとしました。

まともな感覚の大人に出会えた安心感がありました。

この安心感を得られたのは、EMDRという手法以前に、その心理士さんご自身の力量が高かったからだと思います。私は二重の意味でラッキーでした。

もっと広まってほしい

「ひきこもり」状態にある人やアダルトチルドレンが、暴力などの「行動化」に至ってしまうことがあります。

これに対し、現状では精神科医療(薬剤による沈静化や強制入院)や警察介入が主な対応手段になっています。

そして当事者には「難しい患者」「問題のある人」というレッテルが貼られます。

しかし、「行動化」する人の多くは、実は未治療のPTSDを抱えていて、必要な手立てを得られぬまま生活し、フラッシュバックに耐えかねてそうしているのではないでしょうか。

「EMDR」などエビデンスのあるトラウマ治療はまだまだポピュラーではありません。実施できる機関も限られています。

私はEMDRや(次回書く)「スキーマ療法」によって、気分変調が劇的に減りました。そして、それがあって初めてリカバリーに落ち着いて取り組めるようになりました。

私に似たような状況の人のために、科学的なトラウマ治療がもっと普及し、安価になってほしいと願います。

「本人の意志の力」を云々するのはトラウマ治療を受けさせてあげてからにしてほしいと、私は思います。

関連記事:身体からのトラウマケア:「TRE」体験記

次の記事を読む:「生きづらさ」からのリカバリー(回復)には5つのステップがあるよ

前の記事を読む:ひきこもり状態の方の親御さんに「対話」をお勧めする2つの理由

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