2018年12月21日2 分

ありがとう羽生九段

最終更新: 2020年5月26日

将棋の羽生善治先生が竜王位の防衛を惜しくも逃しました。

羽生棋士といえば、19歳で竜王位を獲得した後、将棋の全7タイトルを一時独占したり、昨年末には7タイトルで「永世」の称号を得たりしている第一人者です。

今期の竜王戦には通算獲得タイトル100期という大記録がかかっていました。

私は、この間の「タイトル100期か、無冠か」という周囲の関心の持ち方にずっと違和感がありました。

それは、「タイトル100期か、無冠か」という関心の持ち方が減点主義だからです。

そもそも羽生さんは、ここまでに99回もタイトルを獲得しています。これがもう、既に前人未到なのです。

もっと言うと、「無冠」である前に「九段」です。

「アマ2級」でも「七段」でもない、九段です。十段はありません。

既にこれほど上りつめていることを称賛せずに、さらなる達成(100期)を煽り、それ以外(無冠の九段になること)は失敗であるかのように評する。

私にはそれがつらくて仕方ありませんでした。

騒いだ人たちはきっと、しばらくしたら騒いだことも忘れて「パフェでも食べる」ことでしょう。

羽生さんが99期目のタイトルを獲ったとき、そのことで誰がこれほど騒いだでしょうか。

1回獲得するだけでもすごいことなのに。

プロ(四段)になるだけでもすごいことなのに。

私は子どものころ、テストや成績でずっと学年1位をキープしていました。それが、今回の羽生さんのように、私の地位が危うくなったことが何度かありました。

そのとき、周囲の数人の同級生が「私が1位でなくなりそう」ということを騒いだものです。

私が注目を浴びるのは「1位になったとき」ではなく「1位でなくなりそうなとき」でした。

私が1位になるための頑張りは称賛されず、2位になりそうなときの「頑張りの足りなさ」は問題とされました。

私は、無責任な外野から減点法で「やいのやいの」言われるのが嫌でした。

だから、羽生さんへの注目の集まり方も嫌でした。

しかし、羽生さんは目の前の局面に泰然と対峙し、外野の「期待」に応えることよりも、将棋を追究することを選んでいるように見えました。

羽生さんの姿を見ていて、私は自分を受け容れることがまた少しできるようになりました。

1位でない自分を。

そもそも私はそんな順位なんかどうでもよかった。

無責任な他者の「期待」に応える必要はなかったのです。

だから羽生さんにも将棋を楽しんで追究し続けてほしい。羽生さん自身のために。

羽生九段、ありがとう。これからもずっとファンです。

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