将棋の羽生善治先生が竜王位の防衛を惜しくも逃しました。
羽生棋士といえば、19歳で竜王位を獲得した後、将棋の全7タイトルを一時独占したり、昨年末には7タイトルで「永世」の称号を得たりしている第一人者です。
今期の竜王戦には通算獲得タイトル100期という大記録がかかっていました。
私は、この間の「タイトル100期か、無冠か」という周囲の関心の持ち方にずっと違和感がありました。
それは、「タイトル100期か、無冠か」という関心の持ち方が減点主義だからです。
そもそも羽生さんは、ここまでに99回もタイトルを獲得しています。これがもう、既に前人未到なのです。
もっと言うと、「無冠」である前に「九段」です。
「アマ2級」でも「七段」でもない、九段です。十段はありません。
既にこれほど上りつめていることを称賛せずに、さらなる達成(100期)を煽り、それ以外(無冠の九段になること)は失敗であるかのように評する。
私にはそれがつらくて仕方ありませんでした。
騒いだ人たちはきっと、しばらくしたら騒いだことも忘れて「パフェでも食べる」ことでしょう。
羽生さんが99期目のタイトルを獲ったとき、そのことで誰がこれほど騒いだでしょうか。
1回獲得するだけでもすごいことなのに。
プロ(四段)になるだけでもすごいことなのに。
私は子どものころ、テストや成績でずっと学年1位をキープしていました。それが、今回の羽生さんのように、私の地位が危うくなったことが何度かありました。
そのとき、周囲の数人の同級生が「私が1位でなくなりそう」ということを騒いだものです。
私が注目を浴びるのは「1位になったとき」ではなく「1位でなくなりそうなとき」でした。
私が1位になるための頑張りは称賛されず、2位になりそうなときの「頑張りの足りなさ」は問題とされました。
私は、無責任な外野から減点法で「やいのやいの」言われるのが嫌でした。
だから、羽生さんへの注目の集まり方も嫌でした。
しかし、羽生さんは目の前の局面に泰然と対峙し、外野の「期待」に応えることよりも、将棋を追究することを選んでいるように見えました。
羽生さんの姿を見ていて、私は自分を受け容れることがまた少しできるようになりました。
1位でない自分を。
そもそも私はそんな順位なんかどうでもよかった。
無責任な他者の「期待」に応える必要はなかったのです。
だから羽生さんにも将棋を楽しんで追究し続けてほしい。羽生さん自身のために。
羽生九段、ありがとう。これからもずっとファンです。
関連記事:ある日のリカバリー
次の記事を読む:(10位-6位)今年300冊読んだ私の読書体験10選
前の記事を読む:嫌いな自分なんて存在しなかったという話
Comments