
「つらい」と言えることは、生きる上での最重要スキルです。
一人だけの考えや力ではどうにもならないことでも、他者の視点からの意見をもらったり、助けを借りたりすると、簡単にブレイクスルー(解決)することがあります。
問題と思っていたことが問題ですらなかった、ということさえあります。
他者に相談してパッと視界が開けたときの感じは、ホッとしたような、信じられないような、独特なものです。それまでいたのとは別の世界に来たかのよう。
「つらい」を言える空気
日本人は人の助けを借りることを遠慮するので有名な民族です。
「つらい」「助けて」と言うスキル=「援助希求能力」が低いと言われます。
「つらい」を人に言えるには、何が必要でしょうか。
まず、自分が「つらい」ということに気がついている必要があります。
さらに、「つらい」と言っても大丈夫そうな空気が必要です。
その空気を作るには、どうしたらいいのでしょうか。
その場の空気に対して影響力の大きい人が、率先して「つらい」ことをオープンにし、人に助けを求めてもよいということを示しておけばよいと、私は思います。
ここでやっかいなのは、「その場の空気に対して影響力の大きい人」ほど「つらい」「助けて」と言ってはいけないような空気が、そもそもこの社会にはある、ということ。
男性、親、お父さん。
先生、専門家。
経営者、上司。
これらの立場にあると、なかなか「つらい」「助けて」を打ち明けることができないものです。
家族に心配を与えるとか、恥とか、社会的信用を損なうとか、いろいろなものに縛られているからです。
中には、自分が「つらい」ということを感じないようにしている(なっている)人もいるかもしれません。
自分が「つらい」かどうか分からなくなっている人のためのバロメーターのひとつは、「他者の『つらい』を受け止める余裕があるかどうか」です。
「つらい」とこぼす相手に対し、口に出さなくてもイラッとしたり、「甘えるな」と感じたりしたら、あなた自身すでに「つらい」のかもしれません。
そのことに直面するのを避けるため、目の前の人が「つらい」とこぼすことを、止めさせようとしたり、否定したりしがちですが、本当にすべきことは、そう―
自分も「つらい」ということを、認めること。
みんなつらくて、みんないいんです。
とはいえ、
気をつけたいことがあります。
「つらい」者どうしで「つらい」をこぼし合い、聴き合って、循環させていると、その集団はだんだん煮詰まっていきます。
相手の「つらい」を受け止める心のスペースが、お互いにないからです。
そのようなときは、たとえ複数人で話し合っていたとしても、一人で悩んでいたときのように袋小路におちいります。
そんなときは、家庭や職場の「つらい」メンバーのうち、まず一人だけでも「つらい」を「外部」に逃しましょう。
「外部」というのは、基本的には誰でもよいです。気のおけない友人、親の親、占い師、スナックのママ…。
しかし、そんな存在がいるのなら、そもそも「つらい」を溜め込まずに済んでいますね。
そういうときこそ、プロの使いどころです。
お子さんの相談を機に、家族全員が一人の人間として「つらい」を棚卸しすることをオススメします。
このとき、従来型のよくあるカウンセリングや相談ですと、たとえばお父さんやお母さんは「親」という立場のまま、ご自身の「つらい」にフタをしながら、子の「つらい」の解消のために協力するような形になるかもしれません。
〈オープンダイアローグ〉がいいなと私が思うのは、セラピスト(相談員)の進行のもと、家族全員が一人の当事者として自然に「つらい」を口にできるつくりになっているところです。
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