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みんなつらくて、みんないい。

更新日:2020年5月26日


いたわりのキス

「つらい」と言えることは、生きる上での最重要スキルです。


一人だけの考えや力ではどうにもならないことでも、他者の視点からの意見をもらったり、助けを借りたりすると、簡単にブレイクスルー(解決)することがあります。


問題と思っていたことが問題ですらなかった、ということさえあります。


他者に相談してパッと視界が開けたときの感じは、ホッとしたような、信じられないような、独特なものです。それまでいたのとは別の世界に来たかのよう。



「つらい」を言える空気


日本人は人の助けを借りることを遠慮するので有名な民族です。


「つらい」「助けて」と言うスキル=「援助希求能力」が低いと言われます。


「つらい」を人に言えるには、何が必要でしょうか。


まず、自分が「つらい」ということに気がついている必要があります。


さらに、「つらい」と言っても大丈夫そうな空気が必要です。


その空気を作るには、どうしたらいいのでしょうか。


その場の空気に対して影響力の大きい人が、率先して「つらい」ことをオープンにし、人に助けを求めてもよいということを示しておけばよいと、私は思います。


ここでやっかいなのは、「その場の空気に対して影響力の大きい人」ほど「つらい」「助けて」と言ってはいけないような空気が、そもそもこの社会にはある、ということ。


男性、親、お父さん。


先生、専門家。


経営者、上司。


これらの立場にあると、なかなか「つらい」「助けて」を打ち明けることができないものです。


家族に心配を与えるとか、恥とか、社会的信用を損なうとか、いろいろなものに縛られているからです。


中には、自分が「つらい」ということを感じないようにしている(なっている)人もいるかもしれません。


自分が「つらい」かどうか分からなくなっている人のためのバロメーターのひとつは、「他者の『つらい』を受け止める余裕があるかどうか」です。


「つらい」とこぼす相手に対し、口に出さなくてもイラッとしたり、「甘えるな」と感じたりしたら、あなた自身すでに「つらい」のかもしれません。


そのことに直面するのを避けるため、目の前の人が「つらい」とこぼすことを、止めさせようとしたり、否定したりしがちですが、本当にすべきことは、そう―


自分も「つらい」ということを、認めること。


みんなつらくて、みんないいんです。



とはいえ、


気をつけたいことがあります。


「つらい」者どうしで「つらい」をこぼし合い、聴き合って、循環させていると、その集団はだんだん煮詰まっていきます。


相手の「つらい」を受け止める心のスペースが、お互いにないからです。


そのようなときは、たとえ複数人で話し合っていたとしても、一人で悩んでいたときのように袋小路におちいります。


そんなときは、家庭や職場の「つらい」メンバーのうち、まず一人だけでも「つらい」を「外部」に逃しましょう。


「外部」というのは、基本的には誰でもよいです。気のおけない友人、親の親、占い師、スナックのママ…。


しかし、そんな存在がいるのなら、そもそも「つらい」を溜め込まずに済んでいますね。


そういうときこそ、プロの使いどころです。


お子さんの相談を機に、家族全員が一人の人間として「つらい」を棚卸しすることをオススメします。


このとき、従来型のよくあるカウンセリングや相談ですと、たとえばお父さんやお母さんは「親」という立場のまま、ご自身の「つらい」にフタをしながら、子の「つらい」の解消のために協力するような形になるかもしれません。


〈オープンダイアローグ〉がいいなと私が思うのは、セラピスト(相談員)の進行のもと、家族全員が一人の当事者として自然に「つらい」を口にできるつくりになっているところです。


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