2020年3月14日3 分

みんなつらくて、みんないい。

最終更新: 2020年5月26日

「つらい」と言えることは、生きる上での最重要スキルです。

一人だけの考えや力ではどうにもならないことでも、他者の視点からの意見をもらったり、助けを借りたりすると、簡単にブレイクスルー(解決)することがあります。

問題と思っていたことが問題ですらなかった、ということさえあります。

他者に相談してパッと視界が開けたときの感じは、ホッとしたような、信じられないような、独特なものです。それまでいたのとは別の世界に来たかのよう。

「つらい」を言える空気

日本人は人の助けを借りることを遠慮するので有名な民族です。

「つらい」「助けて」と言うスキル=「援助希求能力」が低いと言われます。

「つらい」を人に言えるには、何が必要でしょうか。

まず、自分が「つらい」ということに気がついている必要があります。

さらに、「つらい」と言っても大丈夫そうな空気が必要です。

その空気を作るには、どうしたらいいのでしょうか。

その場の空気に対して影響力の大きい人が、率先して「つらい」ことをオープンにし、人に助けを求めてもよいということを示しておけばよいと、私は思います。

ここでやっかいなのは、「その場の空気に対して影響力の大きい人」ほど「つらい」「助けて」と言ってはいけないような空気が、そもそもこの社会にはある、ということ。

男性、親、お父さん。

先生、専門家。

経営者、上司。

これらの立場にあると、なかなか「つらい」「助けて」を打ち明けることができないものです。

家族に心配を与えるとか、恥とか、社会的信用を損なうとか、いろいろなものに縛られているからです。

中には、自分が「つらい」ということを感じないようにしている(なっている)人もいるかもしれません。

自分が「つらい」かどうか分からなくなっている人のためのバロメーターのひとつは、「他者の『つらい』を受け止める余裕があるかどうか」です。

「つらい」とこぼす相手に対し、口に出さなくてもイラッとしたり、「甘えるな」と感じたりしたら、あなた自身すでに「つらい」のかもしれません。

そのことに直面するのを避けるため、目の前の人が「つらい」とこぼすことを、止めさせようとしたり、否定したりしがちですが、本当にすべきことは、そう―

自分も「つらい」ということを、認めること。

みんなつらくて、みんないいんです。

とはいえ、

気をつけたいことがあります。

「つらい」者どうしで「つらい」をこぼし合い、聴き合って、循環させていると、その集団はだんだん煮詰まっていきます。

相手の「つらい」を受け止める心のスペースが、お互いにないからです。

そのようなときは、たとえ複数人で話し合っていたとしても、一人で悩んでいたときのように袋小路におちいります。

そんなときは、家庭や職場の「つらい」メンバーのうち、まず一人だけでも「つらい」を「外部」に逃しましょう。

「外部」というのは、基本的には誰でもよいです。気のおけない友人、親の親、占い師、スナックのママ…。

しかし、そんな存在がいるのなら、そもそも「つらい」を溜め込まずに済んでいますね。

そういうときこそ、プロの使いどころです。

お子さんの相談を機に、家族全員が一人の人間として「つらい」を棚卸しすることをオススメします。

このとき、従来型のよくあるカウンセリングや相談ですと、たとえばお父さんやお母さんは「親」という立場のまま、ご自身の「つらい」にフタをしながら、子の「つらい」の解消のために協力するような形になるかもしれません。

〈オープンダイアローグ〉がいいなと私が思うのは、セラピスト(相談員)の進行のもと、家族全員が一人の当事者として自然に「つらい」を口にできるつくりになっているところです。

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オープンダイアローグでソーシャルワーク 相談室おうち

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