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苦しさの原因は「普通」という概念

更新日:2020年5月26日


2016年、フィリピン初日
フィリピン・タガイタイの青空(2016年5月)

こんにちは、ふゆひこです。今日も読んでいただいてありがとうございます。


この記事では「ひきこもり」状態にある当事者の「しんどさ」の大きな原因のひとつについて書きたいと思います。


それは私たちが持っている「普通」という概念です。



周りの人が温かいにもかかわらず苦しい


前回も書きましたが、先日わたしは「ひきこもり」状態の方の家族会にお邪魔し、そこで「なごや若者サポートステーション」の鵜飼センター長さんのご講演を聞きました。


ご講演の中で鵜飼さんは、ご自身の「ひきこもり」経験について開示されました。


ご講演後の質疑応答の際に、ある親御さんが鵜飼さんに以下のような質問をしました。


「変なことを訊くようですが、ひきこもっている間は楽しかったですか?」


それを聞いて、私は「自分はどうだったかな…」と、一瞬、過去を振り返りました。


それは、ほんとうに、ほんの一瞬だけでした。


というのは、その質問に対する答えが当時の気持ちとともに、すぐさま浮かんできたからです。


「楽しかったわけがない。」


「めちゃくちゃ苦しかった。」


「毎日死にたかった。」


鵜飼さんは、やや間をおいて、こうお応えになりました。


「いや・・・正直、ほぼ毎日、死ぬことを考えていました」。


私は「そう!そうだよね!俺も俺も!!」と心の中で叫びました。


そうなんです。ひきこもっているとき(私は人生で3回ほどありました)は、毎日苦しくて、生きていてはいけないような気持ちに苛まれていました。


鵜飼さんと異なり、私は「ひきこもり」期間は3回とも親と離れて暮らしていました。さらに言えば、その内2回は優しい妻と一緒でした。


妻は私に「がんばれ」とも「怠けるな」とも「早く働いて」とも言いませんでした。ただ優しく私のそばにいてくれて、私を支え、回復を見守ってくれました。


おそらく、家族会に参加していた多くの親御さんたちも、ひきこもるお子さんのことを、努めて優しく温かく見守っているのではないでしょうか。


しかし、困ったことに、身近な人たちが優しいにもかかわらず私(たち)は苦しいのです。



当事者の「しんどさ」の原因


ひきこもり状態にある方の「しんどさ」とは、周囲が温かく優しいにもかかわらず生きていて苦しい・しんどい・(ときに)死にたくなること、なのだと思います。


その原因は、私の場合は、「あたま」の中に「普通」や「世間」が刷り込まれていたからでした。


たとえ周囲の家族が優しくとも、刷り込まれた「普通」や「世間」が内側から私にダメ出しをするのです。


「同級生はいい会社に就職して、結婚して家庭を築いて一戸建てを建てているぞ」とか。


「精神保健福祉士のくせに精神科のお世話になって恥ずかしい奴だ」とか。


「こんな甲斐性なしの旦那をもって奥さんがかわいそう」とか。


私(たち)の「あたま」の中には「この年齢の男性はこうあるべき」「そこから逸脱したらアウト」という思い込み=「普通」という概念が無数に刷り込まれているのです。



「普通」をどうにかしよう


私は、これら「あたま」の中に刷り込まれた「普通」と向き合い、どうにかすることが、ひきこもり状態にある方をはじめ「生きづらさ」を感じている人たちが楽になるために、最も重要な作業のひとつだと思います。


というのは、これらの「普通」は、私の望むものではないからです。


これらの「普通」は、誰か他の人たちの願いとか価値観であって、私のものではないのです。


ただ何となく「従わなきゃならない」と思い込んで生きてきて、それが叶ってないから、「あたま」の中で「ダメ出し」をして苦しんでいるのです。


私が望んだものではないのに、いつのまにか私の中に棲み着いて、私を苦しくさせる思い込み=「普通」。それを臨床心理学では「早期不適応スキーマ」や「不合理なビリーフ」と言うようです。精神保健の世界では、それらを「マイナスのお客さん」と呼ぶ人たちもいます。



私は、私たちの「あたま」の中の、私たちを苦しくする「普通」(「スキーマ」や「マイナスのお客さん」)は、どうにかすることができると思っています。


つまり、消したり、弱めたり、付き合ったりできるのです。


また、ご家族に伝えたいのは、いくら優しく温かく見守っても当事者が依然として生きづらそうにしているとき、それは断じてご家族のせいではないということです。


私たちの「あたま」の中に棲み着いた「普通」をどうにかする方法については、またあらためて書いていきたいと思います。


(関連カテゴリ:回復方法


(冒頭の写真は、私が仕事を辞めて初めて日本を飛び出した最初の日に見た、フィリピンのパイナップル畑です。いい歳をして無職という、日本では「普通」考えられない人間に、フィリピンの人はふつうに接してくれました。)





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