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声に出して言いたい「言ってはいけないこと」

更新日:2020年5月26日


子ども


数週間前から、自助グループで「声に出して言いたい”言ってはいけないこと”シリーズ」と(勝手に)題して語るようにしている。


これは、「言ってはいけない(と思ってきた)こと」を声に出してみると、なぜだか笑いがこみ上げてきて気持ちがスッキリすることに気がついたから。


(なにぶん長年に渡り「言ってはいけない」と思ってきたほどのことなので、ここには書けないですけど。)


きっと、抑圧され否認されネグレクトされ、つまりは「いないこと」にされてきた「わたし」の一面が、発言の機会を与えられて喜んでいるのだと思う。


「ようやく見てもらえた!」


「やっと聴いてもらえた!」と。




奇しくも、いま読んでいる「プロセス指向心理学」の本にも同じようなことが書いてある。





「プロセス指向心理学」では、自他の不快な部分(2次プロセスと呼ぶ)と「対話」し、積極的にそのメッセージを受け取ろうとする。つまり、「言ってはいけない」ことに声を与え、「いないことにされていた」自分と向き合おうとするのだ。


かなりしんどい作業だけれど、不快なものたちを単に排除したり抹消しようとしたり(つまり「治ろう」と)していた頃よりも、気づきが深い感じがする。さすが対話。


こちら(1次プロセス)としても、否認をやめることができる(心の荷降ろしができる)ので、案外ラクになれます。


考え見れば、「王様の耳はロバの耳」とか「王様は裸だ」とかと同じことなのかも。


王様の耳がロバの耳だったり、王様が裸だったりというのは、いわばスキャンダルだ。


つい、揉み消そうとしたり、それを言う子どもの方を病気あつかいしたりしてしまいがち。


けれど、いちど向き合って耳を傾けてみると想像の斜め上を行く展開が新たに開けることがある。


王様が耳のことで悩んでいることに周囲が気付くかもしれないし、「裸でも楽しそうならいいじゃん」と寛容な文化ができたりするかもしれない。


それが「他者」との「対話」の力だと思う。


とはいえ、リアルな「他者」といきなり話すのはしんどい。ど直球で痛いところを突かれたら耐えられないかもしれない。


そんなときは、まず自分の中の「他者」と対話するといいと思う。






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