ひさーーしぶりにマンガを読みたいという気持ちになり、近くの漫画喫茶に行ってきました。
私は大学時代は漫画研究会にいたこともあり、マンガを描いたり読んだりが好きでした。
しかし、今では我が「おうち」にあるマンガは『3月のライオン』と『この世界の片隅に』だけです。
断捨離をしたり生きづらさからの回復作業を勧めたりしているうちに、マンガは私の暮らしから姿を消してしまっていました。
思うに、マンガを「描くこと」は、私にとって「生きづらさ」の表現でした。遠回しなSOSのようでもあったような気がします。
上手く描くことで人から認められるのが嬉しかったというのもあります。
また、マンガを「読む」ときには「つらいのは自分だけじゃないんだ」という気持ちにもなりました。
そこに、キャラクターや作者自身の苦悩が表現されていたからです。
その一方、回復の過程で私は、マンガを描くこと以外の、自分について説明する方法を覚えていきました。
自分自身や他の当事者の生きてきたストーリーの方に、マンガを超える「リアルさ」や魅力を感じるようにもなりました。
そんなわけで、だんだんとマンガを必要としなくなっていたのです。
それが最近になり、純粋に「楽しいこと」としてマンガを描いてみたい・読んでみたいと思うようになりました。
趣味として。娯楽として。
それもまた、リカバリー(生きるリハビリ)の一環かもしれません。私は再びマンガを必要とし始めているようです。
今回読んだマンガ
前置きが長くなりましたが、元漫研部員が久しぶりにマンガを読んでみたということで、当時のノリで感想をお届けします。
今回の漫喫の滞在時間は4時間、読んだマンガは6タイトル18冊でした(並行して読みました)。
1.スティール・ボール・ラン
『ジョジョの奇妙な冒険』第7部です。今回は、この部の5巻まで読みました。
『ジョジョ』とは小学生のときからの付き合いです。同級生のT君から6巻と10巻(いずれも第2部)をもらったのがきっかけでした。
その後40巻(第4部の途中)までは単行本で買い、大学受験の帰りに第5部の最終回を雑誌で読み、第6部は数年前に漫喫で読みました。
第6部の結末の悲しみから立ち直るのが難しく、正直この第7部は個人的には「ジョジョじゃない」という思いです。
私にとって「ジョジョ」とは承太郎(第3部の主人公で、第6部まで登場)です。
26巻(第3部)のポルナレフ&イギー vs ヴァニラ・アイス戦から27巻(同)の花京院 vs DIO戦あたりがいちばん盛り上がり、絵も美しかったと思います。
他に吉良吉影(第4部の悪役)が「ジョジョ感」を支えていると思いますし、パート単体でみたときにいちばん面白いのは第5部だと感じます(他のパートとのつながりがあんまりないですが)。
しかし、こちら側の思う「ジョジョ感」の王道の斜め上を行くのが『ジョジョ』の「奇妙さ」であるとも思います。そういう意味でいうと、とても奇妙なこの第7部は紛れもなく正統な『ジョジョ』です(第7部に漂うのは「ジョジョ感」というより「荒木飛呂彦感」かもしれません)。
それから、絵から筆圧が感じられなくなった印象があります。第6部からそうだったかもしれません。筆で描いているんでしょうか。
筆圧をかけずに熱い話を描けるのはすごいなと思います。
2.げんしけん
15~19巻を読みました。以前14巻までは持っていました。
大学漫研のようなサークルを舞台にしたこの作品、連載が始まったころ私はそれこそ漫研にいて、連載第1回めを雑誌で読んだものです。
作中の「オタク」たちは「一般人」とのコミュニケーションには少々の難があるものの、オタクどうしの交流はとても活発で、私は「いいなー」と思って読んでいました。
私は漫研でもうまくなじめなかったのです。
漫研といえど私たちはゲーム世代なので、部室でもゲームを介したコミュニケーションが盛んだったような記憶があります。
ただ、悲しいかな私の生家にはまともなゲーム機がなかったので、漫研の部室でちょっと肩身が狭い思いをしました。
既に思い入れを感じる作品ではなくなっているのですが、このまま完結巻まで読んで、彼らがどうなるか見届けようと思います。
3.凪のお暇
これは昨年話題になった作品のようです。ひとまず2巻まで読みました。
「生きづらい」系の主人公が「わたし」らしく生き直すお話です。
正直、マンガに出てくる「生きづらさ」にはもうあまりリアリティを感じなくなってしまった(すごい人生を送ってきた人をリアルでたくさん知ってしまった)ので、キャラクターに思い入れることはできなかったのですが、それでもおもしろい作品でした。
4.違国日記
これも昨年の話題作のようです。1巻だけ読みました。
親をなくした女子高生と、彼女を引き取った母方の叔母との同居生活の話。
『凪のお暇』と同様、むかしの私だったら買って読んだだろうな―という感じです。
叔母が女の子を引き取ることにした動機が素敵だなあと思いました。
5.服を着るならこんなふうに
これは今回の”当たり”でした。3巻まで読みました。
一見、オシャレな妹がダサい兄を教育していくという設定の、男性向けファッションHow toマンガです。
絵柄も、それこそ某有名メンタルクリニックものみたいな感じで、いい意味で個性を殺したというか、「原作もの」(作画者とは別に原作者がいるマンガ)に合う絵だと思います。
しかし、この作品には、単なる原作付きハウツーものにとどまらない真摯さというか、マンガ作品としての爽やかさを感じました(タイトルに表れていますよね。単なるハウツーものだったらこんなタイトルにしないと思います)。
ちゃんとキャラが悩んだり成長したりすることからくる魅力なのかもしれません。
おもしろいのは、後書きによると作画者があまりファッションに関心がないということです。
それが作画にも表れており、オシャレな人を描いているのにどこか垢抜けなく見えるのです(サイズ感とか、ヘアスタイルとか)。
オシャレに関心のある人が作画をすると、画面全体がオシャレになります(矢沢あい先生が代表例でしょうか)。
本作の絵は、オシャレアイテムを正確に描写することが求められるハウツーもののための絵としては適しているのですが、オシャレであるという設定のキャラの「オシャレ感」を表現しきれていないように感じます。
しかし、その原因であるオシャレリテラシーの低さを作画者自身が後書きで公言していて、さらに本作を通じて作画者もファッションへの関心を高めていくというメタ構造になっていて、それがおもしろいと思いました。ぜひ全巻読みたいです。
6.メタモルフォーゼの縁側
これも昨年の話題作のようです。刊行されている2巻まで通して読みました。
女子高生と近所のおばあさんがボーイズラブ友達になるというお話です。
「キャラが2人いてその関係性を描けばストーリーになる」という命題の典型のような作品で、絵柄もこうの史代さんを思わせ、流麗ではないけれど絵が好きなのが伝わる線で描かれていました。
今回挫折した作品
約束のネバーランド(1巻途中でギブアップ)
書店で見かけて気になっていたのですが、読んでみるとしんどかったです。
話が暗いのと、絵が細密すぎて少年コミックスサイズで読むにはつらいのと…。
もう私はわざわざ他人の不幸な話を追体験しなくてもいいかなという感じです。
ドメスティックな彼女(1話目のみでギブアップ)
五等分の花嫁(同)
神のみぞ知るセカイ(同)
これらは「かわいい女の子を描くにはどうしたらいいんだろう」と思って手にとったのですが、いずれも女の子はかわいいものの読んでいてしんどく、いずれも1話目でギブアップしました。
しんどい理由はやはり、絵が細密で、読まなければならない情報量も多く、それでいて画面(判型)が小さいことです。
挫折したのはいずれも少年誌掲載作ですが、少年誌というのは何かこうフィギュアスケートのように、盛り込まなければならない要素が年々増えていっているのではないでしょうか。
少年コミックは視覚的にも、情報量から言っても、雑誌サイズで毎週ちょっとずつ読むのがいいかもしれないと感じました。
今回の感想と今後読みたい作品
ここまで私のマンガ放談に長いことお付き合いいただきありがとうございます。あなたのような方がいてくださるので書いていられます。
ひさーーしぶりにマンガを読んでみて、以前より入り込めなくなっている自分がいるのを感じます。
それはきっと私が以前より生きやすくなっているからだと思います。物語に救われる必要性が薄れているから。
もうきっと、たとえば『おやすみプンプン』を読んだときのような衝撃を受けることはないのではないかと思います。少なくとも、暗いマンガからは。
これからは、純粋に「楽しめる」作品や、優しく肯定的な作品に出会えればいいなあと思います(何かいいのあったら教えてください)。
今後はひとまず、今回読んだ中からは『スティール・ボール・ラン』『げんしけん』『凪のお暇』を最後まで読みたいと思います。
『ジョジョ』については、これを機に41巻くらいから第6部の最後までもういちど通読したいです。
あと『風の谷のナウシカ』漫画版ももう一回読みたい(こないだの金曜ロードショーに影響された)。
他に気になっているのは『ダルちゃん』と『サトコとナダ』です。いずれも図書館にリクエスト&予約したので、読むのはちょっと先になりそうです。
みなさんはどんなマンガが好きですか??
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