回復を速めてくれたものたち⑥ 再婚

最終更新: 5月26日


会場は東山動植物園。妻が子どものころ庭がわりにしていた場所です。

私のリカバリーを加速してくれたものたち22選の解説(第6回)です。



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こんにちは、ふゆひこです。台風が過ぎ、10月に入りましたね。


このシリーズ、今回のお題は「再婚」です。


私たちはちょうど5年前の10月に結婚式を挙げました。前日に大きな台風が来て大変でした。


毎年、だんだんとハロウィンめいていく街と台風一過の涼しくて乾いた空気、そして高く青い空が、そのときのことを思い出させてくれます。



いま幸せなのは、再婚を決断した際の「判断基準」がよかったから


さて、再婚は私にとって人生最大のチャレンジの一つでした。「賭け」と言ってもいいかもしれません。


2011年の秋、私は、いまの妻になる人と再婚を前提に同居しようか悩んでいました。


当時の私は、自分は結婚など二度としてはいけない類の人間だと思っていました。


私は、最初の妻や彼女との間に生まれた娘に対して、罪悪感や自責の念を強く感じていました。


また、以前の結婚生活を破綻に追い込んだ様々な課題が自分の中に山積し、依然としてどうにもなっていないことも自覚していました。


たとえば、当時、今の妻になる人との間で、私は「この関係は『共依存』ではないのか」「共依存にならないように注意しよう」ということを議論していました。


結果的に見れば、今年になって「けいことニコイチになりたかった!」と書きなぐっていることから、私の中に「共依存」的なところは多分にあったのではないかと思います。


そんな私と結婚してくれて、ここまでリカバリーに付き合ってくれているけいこは、私にとっては神様のような存在です。


(私と最初に結婚してくれた女性は、離婚に際し「誰か(支えてくれる)いい人を見つけなよ」と言ってくれました。私にとっては彼女もまた神様が遣わしてくれた人でした。)


さて、そんな「ビョーキ」真っ只中な私が再婚を決意したのには、いくつかの理由があります。


そして、今回の結婚生活がいまのところ破綻せずに来れているのは、再婚という行動を選択した際の「判断基準」が悪くなかったからではないかと、私には思えるのです。



いつ死ぬかわからないから


第一の判断基準を与えてくれたのは、東日本大震災でした。


当時の私は、生まれて初めてこう思いました。


「人間いつ死ぬかわからないから、生きているうちにしたいことにチャレンジしよう。」


思えば「本当にしたいこと」にチャレンジしたのすら、それが生まれて初めてだったかもしれません。


「人間いつ死ぬかわからないから、生きているうちにしたいことにチャレンジしよう」という想いを判断基準にして選択した行動には、間違いは起こらないのではないかと、私は思います。


それは、それがアダルトチルドレン(AC)にありがちな「恐れ」「怒り」「承認欲求」「他人の欲求を満たすための自己犠牲」といったものに基づいた行動ではないからです。


2年前に世界の旅に出たときも、私を動かしたのはこの想いでした。そして私は数々のミラクルに出会うことになります(また別に書きますね)。



ノートに書いて考えた


次によかったのは「考えをノートに書き出して結論を出した」ということです。


「ノート」については、以前「回復を早めてくれたものたち④ ノート」という記事で詳しく書きました。


再婚するか悩んでいた当時、私は「頭の中のぐるぐる」をノートに書き出して整理する習慣を身に着け始めたところでした。


「頭の中のぐるぐる」とは、専門用語を使うと「自動思考」や「認知の歪み」のことです。


アダルトチルドレン的な自動思考や歪んだ認知にもとづいて行動すると、よからぬ結果が待っていることが多いです。


ノートに書くことで、この「歪んだ認知」が「適応的な認知」に修正されたのだと思います。


私は先に、「自分は結婚など二度としてはいけない類の人間だと思っていました」と書きました。


この「自分は結婚など二度としてはいけない」が「自動思考」であり「歪んだ認知」です。


再婚という選択を想像するだけで、この「自動思考」とともに「恐れ」や「罪悪感」「恥の意識」といったAC的な反応も私を襲いました。


しかし、私はノートの上で考えました。


再婚した人生と、しない人生とを比較しました。


考えることは、しだいに「どうすれば再婚しても過ちを繰り返さずに済むか」に変わっていきました。


余談ですが、当時のノートをパラパラとめくってみると、当時の私は「再婚するかしないか」という問い以外にも様々なことを考えていました。


「人を好きになるとはどういうことか」


「結婚しなかった場合、私にとってけいこはどんな存在になっていくか」


「けいこが子どもをほしいと言ったら作るか」など。


悩みを一つ一つ書き出しては、自分なりの解答を出していっていたようです。


めっちゃ真面目ですね。


この「根の真面目さ」がアダルトチルドレンの強みの一つだと私は思います。


いずれにせよ、私は「罪悪感や自責の念を抱えながら一生独りで行きていく」か、「罪悪感や自責の念を抱えつつも再婚する」かについて考える際、ノートを活用したことによって「自動思考」や「恐れ」等を判断基準にせずに済んだのです。



「受け容れる」+「変える」=ラッキー


もちろん、私は「再婚」というものそれ自体が一般的によいと言いたいわけではありません。


また、再婚して幸せだからといって、最初の結婚生活が不幸だったというわけでは決してありません。


初めて結婚したときも、子どもができたときも、私は幸せでした。


できるならその生活を続けたかったのは言うまでもありません。


再婚が私のリカバリーに寄与したのだとすれば、それは、「罪悪感」や「責任感」や「恐れ」から、したいことをせずに一生を終えることを選ばずに、チャレンジしたからだと思います。


そして、その「賭け」の結果、けいこという神様のような人に「たまたま」「恵まれた」のだと思います。


ほとんどのことは「たまたま」でした。その「たまたま」は、私がどうこうできるものではありません。


東日本大震災が起き、私が生き延びているのは「たまたま」。


再婚相手がけいこという人物だったのは「ラッキー」。


ノートに書いて考えることをそのタイミングで身につけていたのも「たまたま」です。


依存症の自助グループでは「平安の祈り」というものを読みます。


神様、私にお与えください。

私に変えられないものを受け入れる落ち着きを。

変えられるものは変えてゆく勇気を。

そして、二つのものを見分ける賢さを。


私の再婚に際して「私に変えられないもの」とは、離婚した過去や罪悪感、再婚への不安や恐怖でした。


反対に「変えられるもの」とは、私の「認知」や「行動」「判断」でした。


そして、ノートが私に「賢さ」を補ってくれたのかもしれません。


私に数々の「たまたま」や「ラッキー」をもたらしたのは「神様」だったのでしょうか。




今日も読んでいただいてありがとうございます。10月も楽しいことうれしいこといっぱいあるといいですね!



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