家族の最初のしごとは、自分を大切にすること

最終更新: 5月26日


ニースからパリへ向かう機内にて、ちょっとぜいたく(2016年7月)

こんにちは、ふゆひこです。今日も読んでいただいてありがとうございます。


今日も、「できている人からすれば当たり前のことだけど、私にとっては目からウロコ」だったことを書きたいと思います。


それは「いちばん最初に大切にしてあげなければいけないのは自分自身」ということです。



「自分を大切にしてもよい」という驚愕のルール


実は私、このことに、ここ1~2年でようやく気がつきました。「気がついた」というか、初めて知ったという方が近いかもしれません。


というのは、私のようなアダルトチルドレン(AC)にとっては、ずっと、優先すべきは自分以外の他人だったからです。


子ども時代には、親や教師の意向、あるいは家の中やその場全体の(見かけ上の)和を優先していました。


大人になって仕事に就いてからも、私生活や自分の健康をかえりみず、患者さんやそのご家族、あるいは地域社会のために働いてきました。


その結果、私の「こころ」の中には、自分自身の気持ちを押し殺してきたがゆえの不満や怒り、そして悲しみが降り積もりました。そして、それを和らげるためにアルコールを痛飲したり、さらに仕事にのめり込んで燃え尽き症候群になったりしました。


「自分自身を無視する」という悪しき習慣は、身体面にもおよびました。


私には二十歳くらいからずっと痔からの出血があり、ほとんど毎日便器が真っ赤になっていました。しかし、昨年手術をするまで、私にはこれを治そうという発想がそもそもありませんでした。


自分がケア(大切にされること)の対象になるという発想自分をケアしていいという感覚が、まるっと欠落していたのです。


ヘモグロビン値は最終的に7くらいまで下がりました。私の同僚が担当していた患者さんが貧血で、ヘモグロビン値が8になって入院したことがありましたが、私はその方よりも悪い状態で、あろうことか人の相談にのる仕事をしていたわけです。



自分への虐待


そんな中、ACからの回復方法をいろいろ試している過程で、私は自分の中の小さな「わたし」と話をするようになりました。いわゆる「インナーチャイルド」と話すような感じです。


イメージとしては、小学生くらいの「わたし」と、今の大人の「私」が話をするような感じです。


その小さな「わたし」は、私にこう言いました。


「やっと見つけてくれたね・・・!」


私は、私のいちばん大事にしなければならない人がこんなに近く(自分の身体の中)にいたこと、そしてこんなに長い間その気持ちやその不調を無視し続けていたということに気がつき、「なんということをしてしまっていたんだ」と恐ろしくなりました。悲しく、申し訳なくなりました。


その小さな子が不憫に思えて仕方なくなりました。


だって、自分の子どもだったらそんなことしないもん(私は)。


自分の子どもだったら、満足するまでずっと話を聞いてあげたいし、気持ちをわかってあげたいし、怪我や病気があればすぐにでも病院に連れて行ってあげたいと、私は思います。


それを、なぜか、自分自身にはしてこなかったのです。それどころか、その訴えを放置し続けていたのです。


これは、自分自身へのネグレクト(放置という形での虐待)だと私は思いました。



子どもの私が願っていたこと


私は長い間、自分自身のことをネグレクトしながら、自分以外の人に尽くしてきたわけですが、そうされてきた人たちはどう感じていたのでしょうか。


傷ついて血だらけ(肛門だけでなく)の私から大切にされて、みんなそれを遠慮なく受け取れたのでしょうか。


(そういえば、保健所で会議に出席していたときにお尻から出血してほんとうにズボンが血だらけになったことがありました・・・。)


私は母のことを思い出します。


私の母は、自分のことを後回しにして子どものことを大切にするタイプの女性でした。


私はアダルトチルドレン(原家族に機能不全があった子どもの成人した姿)ですが、基本的には母を愛しているし、感謝しています。


私が当時悲しかったのは、母が、私のことを自分よりも優先して大切にしてくれていた一方で、暗い顔をしていたり、自身の不遇を言葉にして私たち子どもに聞かせたりしていたことです。


その結果、私は「私が大切にされることは、その分、母が母自身に回すはずだった資源やエネルギーを奪ってしまうことなのだ」と誤学習してしまいました。


母が不遇で人生に満足していないのは私のせいなのだ、と感じるようになりました。


当時、小さな子どもの「わたし」にとって、愛する母のためにできたことは、自分の幸せを控え、「大切にされないこと」「自分を大切にしないこと」によって周囲のエネルギーや資源を奪わないようにすることだけでした。


しかし、当時の「わたし」が本当に願っていたのは、「わたし」も母も同時に幸せになることだったのです。


そのためには、母には自分自身のことも大切にしてほしかったと思います。


なぜなら、ニコニコ、キラキラしている母を見るのは、子どもの幸せでもあるから。



まとめ


このブログを読んでくださっている方には、きっと、大切に思う方がいらっしゃることでしょう。


もし今、その大切な方が困難な状況にいらっしゃるとしたら、その大切な方を大切にするために最初にすべきこととは、あなたご自身を大切にして差し上げることだと、私は思います。


こう聞くと「家族がつらい状況にあるのに私だけ幸せになれるはずがない」とお感じになるかもしれません。


私にもそういうときはあります。たとえば妻のアトピー症状が強く出ていて、かゆみのために眠れないでいるときなどは、そのような気持ちになります。


しかし、そのようなときでも、私は「わたし」という小さな子を、妻を理由にネグレクトすることはできないと感じます。


彼にごはんを食べさせ、歯を磨いてあげ、お風呂に入れてあげ、トイレに連れていき、見たい動画を見せてやり、友だちにも会わせてあげたいとも思います。そうして愛された「わたし」は、「私」からたっぷり注いでもらった愛情を、妻にも注いであげたいと思うのです。


また、私は、母が私に与えたような「傷だらけの愛」で妻に罪悪感を与えるようなことはしたくないとも思うのです。




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