回復を速めてくれたものたち⑨ 自助グループ(後編)

最終更新: 5月26日


トロント滞在中に通ったコミュニティチャーチ(2016年10月)

私のリカバリーを加速してくれたものたち22選の解説の第9回(後編)です。


第9回前編はこちら



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前編に引き続き、私の「自助グループ」体験について書きます。



前編のまとめ


自助グループとは「同じ体験をした者どうしが助け合うことを目的とした集まり」のことでした。


私は2014年に4ヶ月ほど、そして2018年夏から現在まで、ある匿名の自助グループに通っています。


そこで私は、自身の課題に向き合うため「12ステップ」というプログラムに取り組んでいます。


「12ステップ」を進めると、人生の「棚卸し」ができます。


「棚卸し」をすると、自分がこれまで傷つけてきた人のリストができます。


「棚卸し」をして以来、私はそれらの人々に対して「埋め合わせ」をすることを許されるような人間になることを意識して暮らすようになったのでした。




自助グループは「わたし」に戻れる場所


私が通っている匿名の自助グループは「体験のシェア(分かち合い)」を主な活動としています。


会は「言いっぱなし・聞きっぱなし」という形で進められます。


「言いっぱなし・聞きっぱなし」とは、他の参加者が話していることに批判やコメントをしないというルールのことです。


これによって、参加者は安心・安全に自身の体験を語ることができます。


この自助グループで、私は自身のことを語るときもあれば、語らないときもあります。語らないときは、他の参加者の語りに耳を傾けます。


そして、聴きながら自分の中に湧き起こる様々な感情や思い出にも耳を澄ませます。


私がいま自助グループに参加し続けているのは、これらの体験が心地良いからです。ホッとする、と言ってもいいかもしれません。


それは「嘘をつかなくていい」からだと思います。


その自助グループでは、私は「うまくいかないこと」や「まだまだできていないこと」を安心して口に出すことができます。それを、同じような体験をしてきた参加者たちが、ただ黙って聴いてくれます。


私は、まるで「ほんとうのわたし」に戻ったような気持ちになります。


それは、「うまくいかない自分」「まだまだできていない自分」も、「わたし」の大切な一部分だからです。


アダルトチルドレン(AC)である自分の「まだまだACな部分」を言葉にすることで、私はようやく「わたし」になれるのです。


(いい部分だけを「わたし」だと思い込もうとする=「治った」と思うことは、「否認」といって、過ちを繰り返す落とし穴への一本道だと、私の経験は教えてくれます。)


ちなみに、この「ホッとする」という感覚を、きっと他の参加者も感じているのではないかと私は思います。


それは、「失敗談」がその語りのほとんどを占めるにもかかわらず、その自助グループの雰囲気が決して暗くないからです。


自助グループで互いに人生を語り合い、聴き合うことで、私たちは「みんなそうなんだ」「あるある」「こんなんでも大丈夫かも」という感覚を得ることができます。


それは、これまで独りで必死に人生を取り繕おうとしてきた私(たちAC)にとって、希望の灯火のようなものです。



自助グループは新しい「実家」


自助グループに参加しているとき、私はカナダのトロントにある小さな教会のことを思い出します。


2016年の秋、「生きづらさから逃れるにはフィンランド人になるしかない」という謎の結論に至った私は、英語力を上げる目的でトロントに1ヶ月滞在しました。


そして、そこで「ひきこもり」状態になりました。


ステイ先の部屋にこもって、その家の猫を抱いて寝る生活が続きました。


そんなとき、現地での唯一の予定であった地域精神保健の研修を通じて、私は一人の中国系カナダ人の女性と知り合いました。彼女は熱心なクリスチャンでした。


彼女は私を教会のサンクスギビングの食卓に招いてくれました。


そこには、初老のユダヤ系の男性、黒人の少年、中国系の少女、白人の中年女性がいました。人種も年齢も性別もバラバラです。そこへ日本人の悩める青年が加わりました。


話を聞けば、みなそれぞれ事情のある人生を送り、この食卓へたどり着いたようでした。私も自らの身の上を話しました。


私は、異国で初めて会う外国人たちと囲むその食卓で、「ホッとしている」自分に気が付きました。


家族のようだ、と私は思いました。


それは、初対面にもかかわらず、彼らが自身をオープンにして私を迎え入れてくれたからです。


私も彼らに何も隠しませんでした。


そして、彼らは私の物語に、何の批評や助言も加えませんでした。彼らはただ私の語りに耳を傾け、七面鳥やサラダを勧めてくれただけでした。


私は、そのような相手、そのような場所が「家族」であると思います。


たとえ血縁や地縁がなくとも。


人種や年齢、性的指向が異なっても。


以来、私はトロントの片隅にあるこの教会を「実家」のひとつだと思っています。


私にとって、自助グループもそのような「実家」のひとつになってくれている気がします。


私は週1回、「実家」に帰っています。


そこで「家族」に会うことをとても待ち遠しく思いながら、リカバリー(回復)の一週間を過ごしています。





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