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回復を速めてくれたものたち⑧ 『その後の不自由』という本

更新日:2020年5月26日


その後の不自由
こんどサインほしい



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こんにちは、ふゆひこです。きょうは松茸と秋刀魚と梨と柿がおんなじ食卓に出てきたので幸せでした!^_^


さて、今回ご紹介するのは私の座右の書のひとつ、『その後の不自由』です。



著者は依存症の当事者であり支援者でもある上岡陽江さんと、ソーシャルワーカーの大嶋栄子さんのお二人です。


私がこの本と出会ったのは、2011年の後半か2012年のはじめごろだったと思います。いまの妻と結婚を前提に同居すべく、最初の職場を退職して名古屋へ転居する直前のことです。


以来、数度に渡りむさぼるように読み、ページは赤ボールペンの線と書き込みでいっぱいです。


ミーハーな思い出話をひとつ。


2016年に東京大学で行われた「オープンダイアローグ」の研修会場に、この本を編集された白石正明さんがいらっしゃいました。


私が、本書をはじめとする白石さんご編集の「シリーズ・ケアをひらく」のファンだということをお伝えしたところ、白石さんは、同じく会場にいらした著者の大嶋さんに会わせてくださいました。


それ以来、私の持っているこの本には大嶋さんのお名刺が挟まっています。ちなみに白石さんのお名刺はオープンダイアローグの本にはさんでいます。




「その後」「不自由」という衝撃の概念


本書は主に女性の薬物依存症者の回復について書かれています。


しかし、その内容のほとんど全ては「アダルトチルドレン(AC)」である私のリカバリーにそのまま当てはまり、役立つものでした。


ACは依存症になるリスクが高く、実際に私もアルコール依存症直前までいったり、共依存の苦労を抱えたりしています。


依存症者の苦労はアダルトチルドレンの苦労と言ってもいいかもしれません。




そんな本書が私に教えてくれたことは、「いま」は「その後」であり、「その後」は「不自由」であるということでした。


「その後」というのは「嵐」の後という意味です。


「嵐」というのは、人生でいちばん生き延びるのが大変だった、激動の時期を指します。


ACである私にとっては、実家での子ども時代が「嵐」の時期にあたります。


本書を初めて読んだ当時、私にはアダルトチルドレンの自覚はありましたが、すでに実家を離れて長く、しかも自分で働いて暮らしていました。


さらに再婚しようという時期ですから、「今度こそワシも人並みに幸せになれるんじゃ・・・」という思いはなおさら強いものでした。


「こんなに頑張ってきたのだから幸せになれなければおかしい」という思いもあったかもしれません。


しかし、本書によれば「嵐」の「その後」も私たちの生活や人生は「不自由」なのです。がびちょーーーん。


私は当時、既に実家でのサバイバルという「嵐」は過ぎていたかもしれません。


しかし、私は依然として自他に厳しく、完璧主義で、燃え尽き症候群になるリスクの高いまま生きていました。周期的な気分変調もあれば、隠れてメンタルクリニックにかかり続けてもいました。


そう、冷静に考えてみれば、私の生活や人生は依然として「不自由」だったのです。


(ちなみに、この「不自由」という言葉から、私はソーシャルワーカーとして仰ぎ見る故・谷中輝夫先生の提唱された「生活のしづらさ」という概念を連想します。)



「治りませんように」


自分が依然として「不自由」だと気付いたとき、私は「悪夢はまだ終わっていなかったのか・・・」とショックを受けました。


私は信じていました。「嵐」さえ過ぎれば晴天の南国の大陸が待っている、と。


「浦河べてるの家」流に言うなら、「治る」と思っていました。


精神保健福祉の関係者では知らない人がほとんどいないであろう、北海道にある精神障害当事者の共同体「浦河べてるの家」


そこに集う当事者たちは、その代名詞とも言える活動「当事者研究」を通じて、回復について数多くの知恵(あるある)を蓄積してきました。


彼らは、拙速に「治った」と思い込むことに警鐘(というほどシリアスでもないのが浦河のノリなのですが)を鳴らしています。


「治る」という概念は、病気や「生きづらさ」を単に排除したり解消したりすべき「悪いもの」と見なす考え方である、とも言うことができます。


また「治ろう」「治った」と思うことで、現状から目をそらしてしまうこともあります。


足元の「生きづらさ」を正確に見積もることができなくなり、過去の失敗を繰り返してしまうことがあります。


私たちは「生きづらさ」や「病気」からこそ、生きる知恵、自分自身を知ること、助けてくれる人とのつながり、つまり「リカバリー(新たな自分への回復)」という恩恵をもたらされているとも言えるのです。


思い起こせば、私は、実は東日本大震災の当日に「べてるの家」を視察していました。揺れがあったとき、私は「べてる」のエレベータの中にいました。


その直前、私は「生きづらさ」の存在を忘却(=否認)すまいと、べてる名物「治りませんようにTシャツ」を買い求めていたのでした。


治りませんようにTシャツ
体験ということで、自分でステンシルしました。

それにもかかわらず、私は治ろうとしてしまっていたのです。


そう、もう「治ろう」としている時点で私は治っていなかったのです。


「嵐」のその後、私という船の底には穴が空いていたり、船員の何人かは海に飲まれていたり、食糧や水も不足している有様でした。


波は依然として高く、傷ついたその船と船員とで航海を続けるには「不自由」がたくさん残されていました。


私は、私という船の現状を見ないようにしていたのです。


私は平穏な海を大きく安全な船で航海したかった。治りたかった。アダルトチルドレンになりたくなかった。ACな自分が嫌で、自分がACなのが悔しかった。


「ふつう」になりたかった。


『その後の不自由』という本(言葉)は、そんな私に、残酷かつ優しく、正確な現状を教えてくれたのでした。



「健全な距離が寂しい」


本書は、「その後」「不自由」というコンセプトによって、現状を否認している自分に気づかせてくれました。


その他にも本書には「ACあるある」が満載で、読みながら心の中でなんど膝を叩いたか分かりません。


中でも、近ごろ「あー、このことかー!」と分かってきたのが、「健全な距離が寂しい」という概念です。


私のような共依存の人間にとっての憧れは、何と言っても「ニコイチ」な関係です(笑)。


しかし、人間だれもが別個の他者である以上、「ニコイチ」ほど不健全な関係性もありません。


そんな私(たち)にとって、「健全な」人たちがとる「健全な」人間関係の距離は、とても物足りなく、「寂しい」感じのするものです。


数ヶ月前、私は「妻とニコイチになりたかった!」とノートに書きなぐりましたが(笑)、そのときは本当に「寂し」かったのです。


「ああ、あの本に書いてあったのはこのことかー!」と思いました。


以来、人間関係において「寂しい」と感じたときは、「お、いまこの人との距離は健全なのかも。ナイスナイス」と思うようにしています。


寂しいですけど、あの憧れの「健全」を自分がやれているんだなあと思うと嬉しくもあります。



まとめ


そんなわけで、この『その後の不自由』は私の座右の書となっています。治らないように


「治っていない」ことは依然として悲しいですし、「健全な対人距離」もまだ寂しく感じられます。


しかし、いまが「その後」ということは、少なくもと「嵐」を乗り越えたということを意味します。


「不自由」も、そうと分かれば工夫のしようがあります。「人に助けてもらう」という新たな課題にチャレンジするきっかけにもなっています。


「その後の不自由」という概念は、私に、一瞬の絶望(ショック)と、これからずっと続く希望とをくれました。



きょうも読んでいただいてありがとうございます。明日も楽しいこと嬉しいこといっぱいあるといいですね!






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