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回復にとっての「ラスボス」

更新日:2020年5月26日


ハシビロコウ
2019年3月、掛川花鳥園にて。

先月の中ごろ、気になる本に出会いました。



『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』という、たいへん軽いタイトルです。


読書録でも紹介していますので、よければご覧ください。)


本書には、トラウマのある人の脳の「過覚醒」をなくす方法について、著者の仮説が書かれています。


この「脳の過覚醒をなくす」というのは、個人的には、切実な願いです。


脳の「過覚醒」こそが、私の「世界がずっと曇り空であるような感じ」の正体だからです。



この「世界がずっと曇り空であるような感じ」こそ、私が楽に生きるために解消したい究極の「困りごと」なのです。


ドラゴンクエスト風に言うなら「ラスボス」です(ラスボス=ラストのボス、つまり敵の親玉)。


私にとって、本書は「ラスボス」の「倒し方」について書いてある一冊だったのです。



ドラクエが終わらない?


私はこれまで、「薬物療法」「スキーマ療法」「EMDR」など、数々の治療やセラピーに取り組んできました。



それらは私の「回復」を速めてくれました。睡眠がとれるようになり、マグマのような怒りはおさまり、感情の定期的な変調は消え、トラウマティックなエピソードは「過去の記憶」としてひとつひとつ整頓されていきました。その全てが、私が生きることを楽にしてくれました。


しかし、いまだ私から見える世界は青空になっていないのです。


私には、今でも「未発見の傷」や「次なる不安の種」を探し続けているところがあります。


これは、意図的というよりもほとんど脳の自動的な働きのような感じがします。かつてほどではないにせよ、私の脳はまだ「来るべき危機」に備える臨戦態勢を解いておらず、不安の種を探してセンサーを全開にしているような感じがするのです。私の世界の空が晴れないゆえんです。


この感覚を説明してくれる概念こそ、トラウマを受けた脳がこうむる負の変化=「過覚醒」でした。


これが続く限り、新たな「問題」は発見され続け、そのたび私は「回復」、つまり治療やセラピーをし続けることになるでしょう。まるで「終わらないドラクエ」です(ドラクエに喩えてばかりで恐縮です。ドンピシャ世代なもので…)。


ドラクエの物語のゴールは、あくまで敵の親玉を倒して世界に青空=平和をもたらすことです。


しかし、私のやっている「リカバリー」や「トラウマ治療」は、ラスボス(敵の親玉)ではなくその辺にいるモンスターや「中ボス(=中間のボス、つまり敵の幹部)」を見つけては延々と倒し続けることではなかったでしょうか。


ドラクエでは、敵モンスターや「中ボス」を倒すと報酬がもらえます(「経験値」や「ゴールド」など)。楽しいです。その「中ボス」が掌握していた地域にも、いちおうの平和が訪れます。


しかし、「ラスボス」を倒さぬ限り真の平和は訪れません。


また、ドラクエでは、延々とそのような「前哨戦」を続けているとその報酬の価値が相対的に小さく感じられるような仕掛けになっています。


報酬の喜びを得るには、もっと大きい報酬を与えてくれるような「さらなる中ボス」を見つける必要が出てきます。


実は、これは「依存症」になる仕組みと同じなのです。


アルコールにせよ薬物にせよ、使っているうちに「耐性」がつき、だんだん効果を感じられなくなっていきます。そして使用量が増えます。


私は、もしかしたら自分は「回復依存症」だったのではないかと思うようになりました。


確かに、リカバリーの作業は楽しかったのです。その一方で私は、過覚醒した脳によって次から次へと「発見」される感情や「トラウマ」的エピソードたちに、「いつになったら空は晴れるのだろう」と一抹の不安も抱いていました。



ラスボス=「根底の恐怖」


サン=テグジュペリの『星の王子さま』にはアルコール依存症のキャラクターが登場します。彼は「なぜお酒を飲むのか」と王子から尋ねられ、「恥ずかしいから」と答えます。


ではなぜ恥ずかしいのか。彼の答えは「酒飲みだから」。ループしています。


「恥ずかしい→飲む→そんな自分が恥ずかしい→恥ずかしいから飲む」の繰り返し。


彼はもともとどうして恥ずかしかったのでしょうか。


あるいは、彼はもともとどうしてお酒を飲んだのでしょうか。


今回ご紹介した『トラウマちゃん』本では、「もともと」の原因にアプローチすることで、この無限ループを断つことができるとしています。


それは、本書の言葉では「根底の恐怖」を回避せず「浸る」ことと表現されています。


「根底の恐怖」とは、すべての不適応的な行動や選択の原因になっているような恐怖、「究極の早期不適応スキーマ」みたいなものかもしれません。


(本書によれば、トラウマのある人の「過覚醒」した脳は、「根底の恐怖」という究極のストレスと向き合うことに耐えられないため、張り巡らせたセンサーで別のほどよいストレッサーを発見して、そちらへ意識をそらすのだそう。ただし、そのほどよいストレッサーにも耐性が出て、だんだん効かなくなってくるとのこと。あくまで仮説ですけど。)


ドラクエ世代の私の言葉で表すなら、「根底の恐怖」に「浸る」とは、ラスボスと戦うのを回避して延々と中ボスやモンスターを狩り続けるのを止めて、ラスボスと対峙すること、と言えそうです。


ラスボスから目をそらさず(回避や否認をせず)、ラスボスを見定めること。そうすれば、倒しやすい「中ボス」(怒り・思い出せる「トラウマ」・分かりやすい症状など)との戦いに依存(嗜癖)することなく、世界をほんとうに青空にすることができる。


私はこの考え方に非常に説得力を感じ、また、痛いところをつかれたような気にもなりました。



ラスボスの「倒し方」


では、どうすれば「ラスボス」(根底の恐怖)を見極められるのでしょうか。


どうすれば「ラスボス」を倒せるのでしょうか。


実は、本書には「ラスボス」の「見極め方」と「倒し方」(浸り方)がごく軽い感じで書かれていますので、ぜひ読んでみてください。


先月来、私も試しているところです。


過覚醒した脳で何か不安や問題を発見している自分に気がついたときは、それらに反応して行動するのではなく、本書のとおりに「根底の恐怖」に「浸る」ことを繰り返しています。


すると、「いま」に戻ってこられているような感じがします。戻ってきた「いま」「ここ」で、自然に体が動くことをする。楽しく感じられることをする。その繰り返しを試しています。


私はドラクエ3のラスボス「ゾーマ」のことを思い出します。


ゾーマには回復呪文でダメージを与えることができるのです。


自分や仲間を回復させる呪文が、ラスボスを倒す。


ゾーマと初めて戦ったときは本当に恐ろしくて、「逃げる」を選択したり、焦って短絡的な攻撃を仕掛けたりして、よく全滅したものです。しかし、周到に準備して彼の攻撃を着実に受け止め、コツコツとダメージを与え続けると、倒せない相手ではありませんでした。


「根底の恐怖」はゾーマからの攻撃。「浸る」ことは、変な選択をしないこと。落ち着いて「いまここ」の行動を選択し、回復呪文を唱えること。


もうしばらくそれを続けてみようと思っています。


ちなみに、ラスボスの「倒し方」は、個人的には本書のやり方も合わせて3種類ほどあるのではないかと思います。


そのことについては、また改めて書いてみたいと思います。







前の記事を読む:2019読書録 #11-#20

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