2019読書録 #11-#20

最終更新: 5月26日



今年の読書録のつづきです。


読書録2019



#11. 杉山登志郎『発達障害の子どもたち』(講談社現代新書, 2007)


1月の終わりごろから「発達障害」というものが再び気になりだしたため、図書館で何冊か関連書籍を借りた。その中の一冊。


発達障害というものが再び気になりだした理由は、半分は仕事のためで、もう半分は自分のため。この本はどちらかというと自分のために手にとった感がある。


著者の杉山先生は「第四の発達障害」の提唱者。「第四の発達障害」とは虐待の結果による発達障害のこと。杉山先生によれば、虐待を受けた子どもは生得的な発達障害の子と似たような発達上の特徴(多くは困難)を持つようになることがある。


私は、自分の「発達障害っぽさ」が生得的なものなのか、不適切な養育の結果なのか、改めてそれを確認したかったのだと思う(杉山先生のご著書はもちろん以前読んでいた)。


本書で紹介されている「虐待」の事例はかなり「分かりやすい」というか、ハードなものに限られているため、私のようなケースは該当しないようだった。これは、杉山先生のご所属が、そのような子を診るための専門機関だからだと思う(思いたい)。


もう少し「やさしい虐待」のケースについては、「マルトリートメント(不適切な養育)」などの本を読むべきだろうか。それにしても心理的虐待は目に見えないぶん立証が難しく、当事者としてはつらいものがある。



#12. 姜昌勲『他人とうまくいかないのは発達障害だから?』(PHP研究所, 2012)


これも自分用。「AQ-J」という自閉症スペクトラムの診断に使われるチェックリストが掲載されているので借り、自分でやってみた(無論、この結果だけで「診断」ができるものではない)。


「50点満点」で32点以上がアスペルガー症候群の疑いということだったが、私は35点だった。合格おめでとう٩(๑´3`๑)۶


分かってはいたけれど、今までこういう作業をやらなかったのは「否認」だったのかもしれないと思いました。


この後、私は確定診断を受けようか、ちょっとのあいだ真剣に悩みました。そして見送りました。確定診断を受けることが、人生が「嵐」だった原因や責任を一身に背負うという、これまでの(不適応の)パターンと同じだなあと思われたからです(そっちのほうがしっくりくる=comfortableではありますが)。


昨年やった「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」にならい、ここはあえて「逆張り」をして、人生が「嵐」だった責任を自分に負わせないで、図太く生きてみることにします。



#13. 田中英高『改訂 起立性調節障害の子どもの日常生活サポートブック』(中央法規出版, 2017)


ひきこもりの原因としての身体疾患は見落とされがちなように思います(アトピーとか、慢性疲労症候群とか)。


身体疾患という原因を見落とすと、たちまち根性論や心理主義となり、ご本人は周囲から発破をかけられたり的はずれな「共感」をされたりします。そして、それが原因で、「わかってくれない」周囲との心理的葛藤(家族や支援の機能不全)を生み、事態が複雑化してしまいます。


(関連記事:身体疾患が家族関係に与える影響


私は身体疾患をぜんぜん知らないので、少しずつ勉強するようにしています(「起立性調節障害」は厳密には心身症なのかもしれませんが)。


究極は、身体疾患があろうがなかろうが、「なんかしんどい」という「気持ち」をちゃんと聴いて、無批判に受け止めるということを繰り返してさえいれば、上記のような「誤解」は防げると思うんですけどね。



#14.  べッセル・ヴァン・デア・コーク 『身体はトラウマを記録する』(紀伊國屋書店, 2016)


年明けくらいに図書館で借りて、後半(回復について書いてある部分)だけ読んで、いちど返却して、あまりにも自分の人生に重要な本だったので買いました(メルカリで^^;)。これからゆっくりじっくり何度も読むと思います。


本書を読むと「心の傷」は心の傷などではなく、実際に脳や内臓の機能に深刻なダメージを与える「身体の傷」だということがよく分かります。だから、心理的虐待も身体的虐待なのです。言葉の暴力は端的に暴力です。だって身体が傷つくんだから。


もっと悪いのは、その脳へのダメージによって、社会適応が難しくなってしまうことなんですけどね。


あまりにもインパクトが大きいので、この本の感想は、きっと独立した記事として書くと思います。とにかく、生きづらい系の人は必読です。生きづらい系の人を集めてこの本でアクティブ・ブック・ダイアローグのワークショップをやりたいくらい。


(関連記事:身体からのトラウマケア:TRE体験記



#15. サンドラ&マシュー・ブレイクスリー『脳の中の身体地図』(インターシフト, 2009)


『身体はトラウマを記録する』と併せて読みたい一冊。脳と身体とのつながりについて書いてあります。ちょっと皮肉屋っぽい文体が気になったけど…。



#16. 綾屋紗月ほか『ソーシャル・マジョリティー研究』(金子書房, 2018)


発達障害の当事者の主導による、「ふつうの人たち」の研究。これまで「研究」といえばマジョリティー(「ふつう」の人たち)がマイノリティーを対象に研究するか、「当事者研究」のように「マイノリティーがマイノリティー自身を研究する」ものしかなかった。本書は、マイノリティーが「マジョリティーって、何であんななの?」という疑問を解こうとする試み。


実は第1章の途中まで読んだところで図書館の返却期限が来てしまった。また借りたい。


(関連記事:苦しさの原因は「普通」という概念



#17. 藤見幸雄ほか『プロセス指向心理学入門』(春秋社, 2001)


どこかで「プロセス指向心理学」という言葉だけ頭の片隅に入れていて、たまたま図書館で本書が目に入ってきたので思わず手にとった。


「プロセス指向心理学」は、ちょっとスピリチュアルが入った心理学です。私の中でこれが気になっていたのは、これが「対話」を中核にした心理学だからです。


「プロセス指向心理学」では、嫌なもの・遠ざけているもの・uncomfortableなもの・自分とは異なるもの等と積極的に対話をし、そのメッセージを聴くことを徹底します。否認したり治療(することで抹消)したりせずに、その話を聴く。これは「オープンダイアローグ」や「当事者研究」と共通する哲学です。


私は1月中旬くらいから、本書に掲載のワークばっかりやっていました。


(関連記事:「弱さ」と対話する



#18. 大嶋信頼『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』(青山ライフ出版, 2015)


『身体はトラウマを記録する』に続き、人生にとって超重要な一冊との出会い。妻が借りてきた本書を何気なく手にとって、そのまま貪るように読んでしまった。


タイトルもサブタイトル(「あなただけの簡単なことばを唱えるだけで”いまここ”で楽になる!」)も、さらに文体も超軽いんですけど、それに反して「書いてあること」は核心を突いている。まるで”トラウマケア界の加藤諦三さん”です。


(関連記事:回復を速めてくれたものたち⑤ 加藤諦三の本


けっこう分厚い本書ですが、言っていることはひとつかふたつです。


「最も根底にある恐怖を対象にマインドフルネスしていると、過覚醒しなくなるよ。」


「それ以外のこと(親への怒りとか)を対象にマインドフルネスしていると、それは根底にある恐怖の回避(否認)なので、耐性がついて、逆に過覚醒が酷くなるよ。」


この二つです。


「過覚醒」というのは、トラウマによる脳への悪影響(悪い変化)のひとつで、分かりやすく言うと「夜も眠れない」状態です。不安や恐怖や、焦りや怒りなどで。


上記は著者による仮説なので、信じるか信じないかは人それぞれなのですが、私は非常に説得力を感じました(詳しくは読んでみてください)。


本書の言っていることは、ちょっと私には衝撃で、というのは、これまで「早期不適応スキーマ」を処理してきたことや、アダルトチルドレンとしてのリカバリーの作業そのものが、嗜癖としての一面をもつことになるからです。


とはいえ、本書はそういったリカバリーの取り組みを否定するものではありません。確かに従来のトラウマケアで、たとえば「親への強い怒り」は収まるし、そのことでだいぶ楽になることまでは否定していません。


本書が問題にするのは脳の「過覚醒」、私の言葉でいうと「戦争の終わっていなさ」「世界が曇り空であるという感覚」のことです。


従来のトラウマケアは、私の感覚でいうと爆撃を止ませたり、地雷を撤去するような感じです。そのことで、以前比べると格段に暮らしやすくなります。


しかし、戦争自体は終わっていないのです。私は、まだどこかで「戦争が再開したときにすぐに対応できるように身構えている自分」がいるのを感じています。


本書の著者は、「トラウマさん」にとっての回復のゴールは、そのような感覚を無くして、青空を見ることではないですか、と言っているのです。私は強くうなづきます。


本書を読んで以来、私はマインドフルネスの対象を「根底の恐怖」に絞るようにしました。


まだしっかりとは把握しきれていないのですが、私の「根底の恐怖」は、おそらく「愛されない→死ぬ恐怖」の辺りにあるのだと思っています。


私はいま、自分が「過覚醒」した頭で「心配」したり「計画」したりしてワタワタしはじめたら、「根底の恐怖」を感じるようにしています。それは「未来」でも「過去」でもない「いま」に戻ってくることだと感じます。


そして、いちばん見たくない「根底の恐怖」を否認せず、その存在を見つめ、感じること、これは「プロセス指向心理学」や「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」にも通じることだと思います。奇しくも、私の好きなスピリチュアル系の人たちも同じようなことを言っています(ネガティブを否定せずゼロ地点に戻り、それからハッピーに感じることだけやっていればよい、とか)。


などなど総合的に考えて、この本の言っていることは、鉱脈を掘り当てているような気がしています。


(関連記事:回復にとっての「ラスボス」



#19. 糸川昌成『科学者が脳と心をつなぐとき』(コンボ, 2016)


母が統合失調症だったということを知った精神科医のエッセイ。読んですごく複雑な気持ちになりました。


統合失調症の脳内におけるメカニズムを研究する著者は、自身の臨床(や患者家族として)の経験もふまえて、「薬は脳を治せても魂は治せない」といいます。ほんとうにそのとおりだと私も思います。


私が複雑な思いにかられるのは「それ数十年前からソーシャルワーカーが言ってたやつやん・・・」と思うからです。


私の願いは、「脳を治す人」と「魂を治す人」がちゃんと分業して、対話して、対等なチームとして機能してほしいということです。


「魂を治す人」は、医療の世界の外に上手な人がいっぱいいますから、医療だけで魂まで治さないようにしてほしいと思います。



#20. 岡田尊司『母という病』(ポプラ新書, 2014)


「トラウマちゃん」の本で「根底の恐怖」について考えるようになりましたが、理屈で言えば「根底の恐怖」とは愛着障害であるのではないでしょうか。愛着障害とは人間にとって「世界の安定性のゆらぎ」そのものだからです(私の言葉でいうと「戦争状態」です)。


「母という病」というタイトルはちょっとセンセーショナルですけど、中身を読めば母親をやっている女性個人を責めるようなものではないと分かります。


「母という病」とは愛着障害(の世代間連鎖)のことです。


愛着障害とは「お前は大丈夫じゃないよ」という(誤った)メッセージが、母から子へ(誤って)伝わってしまうことです。そのことが、トラウマ同様に脳や身体に悪影響をおよぼし、子はさらなるトラウマや発達障害、そして社会不適応など、いろいろな災難に見舞われ続ける人生を送ることになります。


愛着障害が起きる原因はいろいろあります。多くは世代間連鎖(母親も愛着障害)や、子育てをめぐる社会的状況の変化が母親業(「お前は大丈夫だよ」というメッセージを子に伝えること)を難しくしていることに、その原因があります(つまり母親という個人の「自己責任」ではないのです)。


そして、愛着障害が「1次疾患」だとすると、アダルトチルドレンは「2次障害」なんだよね。


「トラウマちゃん本」的に言うなら、アダルトチルドレンとしてのリカバリーをやってきたからここまで来れたんだけど、そればっかりやってても「リカバリージャンキー」になるだけだから、ここらで愛着障害に向き合うことが本質的なんだよね。


私は長いリカバリーの試行錯誤(と否認)のすえ、ようやく本書を手にとることができました。「トラウマちゃん」本を読んだから、本書に食指が動いたのだと思います。




次の記事を読む:回復にとっての「ラスボス」


前の記事を読む:アダルトチルドレンだけど親をほめる


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