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ここしばらくの奇跡を数える①

更新日:2020年5月26日


明浜
かつてソーシャルワーカーとして走り回った土地で(2019年6月、愛媛県西予市明浜町)

ブログを書くのが1ヶ月半ぶりになりました。この間、ものすごくたくさんの重大な出来事が起こり続け、それらを脳や心の中で消化するのに時間がかかっておりました。


もしかしたら一つの記事にするには情報量が多すぎるかもしれませんが、書いてみたいと思います。


これまでの記事と同様に、今回の記事も、生きづらさを抱えながら懸命に生きているどこかの誰かの、何かの役に立てばいいなと思いながら書いています。


まず、この半月くらいの間に起きたことを羅列し、その後で、私が得た気付きや学びについて詳しく書いてみたいと思います。


長いので、お茶など飲みながらリラックスして読んでほしいです♪~(´ε` )



「いるだけでいい」と言われた


「アンティシペーション・ダイアローグ」の課題に取り組んだときのことです。


いきなり謎の横文字が飛び出しました。「アンティシペーション・ダイアローグ」。


「アンティシペーション・ダイアローグ」は「オープンダイアローグ」のきょうだいのようなものです。「未来語りのダイアローグ」と訳されています(詳しくは以下の本を)。



「アンティシペーション・ダイアローグ(以下AD)」は、私の言葉でいうと「会議を対話的に行う方法」のことです。医療や福祉の世界ではもちろん、教育やビジネスの場でも応用可能です。


今年度、私は「オープンダイアローグ」のトレーニングコースと並行して、このADのファシリテーターになるための研修も受けています。


その研修の第1ブロックが、今年の4月に沖縄で開かれました。そこで私たち受講生は宿題を課されていました。


それは「自分が力になりたいと思っているけど、うまく力になれておらず、このままではまずい、と感じる相手に、どうしたらうまく力になれるか教えてくれるようお願いする」というものでした。


ADの専門用語では、これを「早期ダイアローグ」と呼びます。事態が深刻化する前に、早めに(早期に)対話を開始する、という作業です。会議の招集にあたります。


この際、難しいのは「このままではまずい」のは「自分がうまく力になれていないから」であるということです。「このままではまずい」と感じているのはあくまで「こちら側」であり、相手に改善すべき問題点があるとか、相手のせいだとか、そういうメッセージにならないようにすることがポイントです。




この課題に取り組む中で、私は「たいていの ”問題” は自分自身の個人的な未解決の課題から来ているなあ」との感覚を強めました。


もう少し突っ込んで言うと、「誰かの力になりたいという気持ちすら私の都合」という感じがしました。純粋に「相手のため」に悩んだことなんかあっただろうか、と思うほどでした。


最終的に、私は自分のいちばん大切なもの=家族のことを思いました。具体的には、いまの妻です。


私は妻にこんなに幸せにしてもらっているけど、彼女はどうだろうか。何となく、私ほど幸せではないように見える。私は「よい夫」であることに自信はない。むしろ、悪い夫である自信はあるぞ(笑)。このままでは私たちの関係はどうなってしまうのだろうか。不安だ(私が)。こんな不安を抱えたままはしんどい。助けてほしい。どうしたらあなたの幸せに寄与できますか。


「そんなことを近いうちに聴かせてほしいのだけど。」


ある晩、私は妻に伝えました。


オープンダイアローグのトレーニングコースに一緒に参加している妻は、もちろんADのことも知っています。妻は「わかった」と言ってくれ、私は安心して眠りにつきました。


脳というのは眠っている間にいろいろなことを整理するもので、翌朝、私は「もしかしたら」という直観とともに目覚め、妻に尋ねました。


「昨日の答えだけど、もしかしたら『俺が苦しい顔をせず、ニコニコ幸せでいること』なんじゃない?」


聞き終えて、妻は応えました。


「そうだよ?」


その顔は「何を当たり前のことを大げさに言ってるんだ」「今ごろ気づいたのか」と言っているようにも見えました。


私は2つのことに衝撃を受けていました。


ひとつは、妻の愛の「本物」さ。


もうひとつは、「相手に貢献しようとするとき、何もしなくていいということがあるんだ」ということ。これは私にとって世界が反転するような発見でした。


いるだけでいいのか…!」


驚くべきことに、私はこの「新事実」と、このあと様々な場面で立て続けに出会い続けることになります。



謝らなければならなかった人にお詫びした


ADの課題に取り組んだ少し後、私はある人に過去のお詫びをする機会に恵まれました。


その人は、私が「もうオープンダイアローグでしか支援したくない」と強く感じ「相談室おうち」を作ったときに、「この人のために」と念頭にあった何人かのうちの一人でした。


私には「あのとき自分が対話的であったなら、あの人の力になれたかもしれないのに」という相手や場面がいくつかあります。そういう後悔や反省が、いまの生き方に反映しています。


詳細は書けませんが、私はそのうちの一人に直接お詫びをする機会に恵まれたのです。


その方とは少し前に再会していたのですが、私は最近まで、自分がお詫びをしなければならないということを「否認」していました。


しかし、その方がその話題を口にしてくださったことで、そのことに向き合うことができました。


過去に向き合うことで、私は自分が2つのことを「否認」していたことに気が付きました。


ひとつは、自分が「加害者」であること。


もうひとつは、自分が「被害者」でもあった、ということです。その人と出会う前、はるか昔に。


最近まで自覚がなかったのですが、実は、私には「被害者」に共感しづらい傾向がありました。ややこしいのは、私の中には「加害者」への強い怒りも存在しているということで、それら矛盾する二つのものたちによって、私の中はぐちゃぐちゃになっていました。


思えば、私はこれまで「アダルトチルドレン」という言葉で自分の「被害者」性を表現してきましたが、他方で、「酷いことをされた自分にも非があった」「私が可愛くない子・育てにくい子だったから、酷いことをされた」と、「被害者の私」を責めてもいました。


私は、その自罰的な眼差しを、他の「被害者」たちにも向けていたのだと思います。


「被害者である自分」を責めるのを止めたとき、私は自分が加害者であることにも気がつくことができました。自分はその人になんて酷いことをしてしまっていたのだろう、と思うことができたのです。


その人は、私を赦してくれました。



「望むものは関係性である」と言われた


私を赦してくれたその人に、私は「あなたのために何ができるだろうか」と尋ねました。


その人は「何もしなくていい」「望むのはあなたとの関係性である」と言いました。


ここでもまた、「する」ではなく「いる」が望まれたことに、私は驚きました。



細川貂々さんの『生きづらいでしたか?』を読んだ


そんな謝罪と赦しの日々があり、ADの研修の第2ブロックが差し迫った7月半ば、私には細川貂々さんの『生きづらいでしたか?』を手に取る機会がありました。



『ツレうつ』で有名な細川貂々さんですが、ご自身も「生きづらさ」の当事者とのことで、本書は北海道浦河町にある「べてるの家」等に「当事者研究」を見に行くという内容でした。



ネタバレになりますが、本書で紹介される浦河の川村医師の一言もまた、私にとってはシンクロニシティでした。


「あなたがヒーローになって誰かを救ったら、その人はどうなると思う?」
「死ぬんだよ」

人を救うには、救ってはいけない。これが私には一連の「する→いる」へのパラダイムシフトの一つとして聴こえたのです(川村先生は「治さない医師」として有名ですね)。



白川さんから勇気をもらった


ADのファシリテーター研修第2ブロックは、7月12日から埼玉県で開かれました。その初日と同日に、妻は東京で別の研修に出ることになりました。白川美也子医師のコーディネートによる、トラウマサバイバーの体験談(回復の語り)が聴ける会です。


私たち夫婦は白川さんと某研修の場でご一緒したことがあり、そこでものすごく助けていただいた(救っていただいた)経験があります。


白状すると、不勉強な私は当時「白川さん」が「白川美也子医師」だとは認識していませんでした。


白川医師は今月になり、『トラウマのことがわかる本』を上梓されました。



Twitterでそのことを知った私は、感動に震えていました。


この「わかる本」シリーズに「トラウマ」がラインナップされる。「トラウマ」というものの存在がともすれば医療や福祉の支援の現場で否定(否認)されているようにも感じられる中にあって、私の苦しみが公認されたような喜びがありました。


しかも、それを書いたのは、あの白川さんだ。


私が白川さんのことを尊敬しているのは、某研修の場で傷ついた私に、最初に、力強く、公に支持を表明してくださったからです。本書の出版の報に触れ、私は白川さんから再び勇気と希望を示していただいたような気持ちになりました。


また、ちょっとマニアックなのですが、Twitterの私のタイムライン上に白川さんと「スキーマ療法」の伊藤絵美さんのやり取りが並んで表示されるというミラクルが起きたのにも興奮していました(思わずスクショしました。)


私のリカバリーに巨大インパクトを与えてくれた「スキーマ療法」、その第一人者の伊藤さんと、白川さんとが、リスペクトし合ってやり取りをしている。


そのことに、一人のトラウマ持ちとして、私はさらに大きな希望を見出すのです。



不勉強な私は、妻から聞いて、もうひとつ衝撃を受けます。白川さんはあの『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』の著者だというのです。



この本、気になっていてアマゾンの「ほしいものリスト」にずっと入っていたのですが、何故か買う踏ん切りがつかずにいました(たぶん数ページ立ち読みしていたらすぐ買っていたと思います)。


ADの研修に出発する前日、私は本書を発注しました。受け取って読むのは、残念ながら埼玉から戻ってからになります。



「AD」ファシリテータ研修に参加した


そしてようやく、私はADファシリテーター研修第2ブロックを迎えました。本研修は1年間に5ブロックあり、各ブロックが2泊3日の日程になっています。第1ブロック(4月)の会場は沖縄、そして今回は埼玉でした。


実は、第1ブロックのとき私は心身ともにここ数年で最悪の状態でした(「私自身がオープンダイアローグを利用した話」で書いた、一瞬だけ精神科医療を再開した時期)。


そのため、研修から脱落しないだけで精一杯で、このブログに第1ブロックの振り返りレポートを書くことまではできませんでした。


今回も研修単体のレポートを書くことはしませんが、それは、今回の研修がこの記事で書いている一連の大きな学びの流れの中にあるからです。後述しますが、この2泊3日の間にも私には大きな出来事がたくさんありました。



妻が『トラウマのことがわかる本』を買ってきた


AD研修の初日の夜、滞在先のAirbnb(民泊)に戻ると、そこには『トラウマのことがわかる本』がありました。白川さんの研修に行った妻が買ってきてくれたのです。


パラパラとページを繰りましたが、「私について書いてあること」があまりに多すぎて、その「読むべき情報量」に圧倒され、研修で疲れきった脳では読み進めることができませんでした。


ダイアローグ関連の研修では「対話脳」(マインドフルネス)を常に走らせ続けるのと、「教わる」という場それ自体が私にとってはフラッシュバックの引き金になるのとで、疲れきってしまうのです。




家に帰り「赤ずきん本」を読んだ


いきなり時間が飛ぶのですが、7月15日夕方、研修を終えて帰宅すると注文しておいた『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』が届いていました。


パラパラとページを繰ると、やはり「私について書いてある」本だったのですが、物語形式だからか、読める読める。


ということで、7月15日の夜と昨日(16日)を使って、私は『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』を読みました。泣きながら。嗚咽しながら。


これまで言いたかったこと、言ってほしかったことが、言ってほしかった人によって、余すところなく書かれている。それ自体が救いでした。


これまでブログに書いてきたような、当事者としての自分なりのリカバリーの体験や不器用なノウハウが、遥かに専門的かつ総合的な見地から、体系的に、しかも分かりやすく書いてある。


本書は私にとって「悟りの書」(『ドラゴンクエスト』に出てくる、読むと賢者になれる本)の一つとなりました。


本書を読んだ(当事者としての)感想は、以下に一部書くと思いますし、また別の記事にまとめるような気もします。


ひとつ書くと(ネタバレ)、赤ずきんとオオカミの謝罪と赦しの場面を、私は数日前に体験していたような気がしました。



ところで、この本を読んで寝た昨晩、私は夢を見ました。


エグザイル風の強面にいちゃんが、脱獄をしました。


発見された彼は、体育館のステージに置かれたソファに座らされ、それを300人ほどの聴衆が見つめます。私もその中にいました。


脱獄した彼は、ステージの上で、しかし、錠前と鎖を外されます。


彼の表情はエグザイルのままですが、私には彼の心が泣いているのが分かります。そして、私も泣いています。


聴衆の一部は何故か日本将棋連盟の人たちで(笑)、その中から田中寅彦九段がマイクを取り、壇上の彼に声をかけます。


「よかった、よかった。亡くなった奥さんも喜んでいるだろう。」


私はそのエグザイルさんが誰なのか、彼に何があったのか、全く知りません。しかし、田中九段の言葉に彼の表情が少し動いたような気がします。彼の心を感じながら、私は胸を震わせて泣き続けています。私にとって、夢の中とは言え、妻以外の人の前で涙をながすのはほとんど初めてのことです。私はそのことに喜びを感じながら、泣き続けました。




つづきます


ちょっともう、あんまり長いので2記事に分けることにしました(笑)。


以上「前編」は、この半月間くらいの出来事を時系列的に書きました。


次回「後編」は、この間に得た学びや気づきを言葉にしていきたいと思います。アンティシペーション・ダイアローグの研修中に得た気付きについてもたくさん書きたいと思います。


それから、思い出してみるとその少し前、6月にも様々な「奇跡」がありました。主に四国で。もしかしたらそのことも書くかもしれません。


それでは、長い前振りでしたが読んでいただいてありがとうございます。


明日も嬉しいこと楽しいこと、いっぱいあるといいね!






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