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相談員の私自身がオープンダイアローグを利用した話

更新日:2021年5月17日


オープンダイアローグはこんな場所で開かれます

ここ数年で急速に注目を集める「オープンダイアローグ」。


もともとは精神科の治療法ですが、「フィンランド式のチームミーティング」と捉えることで、障害のある方への支援や、親子・夫婦関係の修復、学校などでも応用ができます。


とはいえ、国内では精神科の医療機関への普及がこれから始まろうというところです。体験してみたくても近くの病院ではやっていない、実際どんなものなのだろう…ということがほとんどなのではないでしょうか。


オープンダイアローグの普及を速めたいと開設した「相談室おうち」。その相談員(オープンダイアローグセラピスト)である私は、当事者としてオープンダイアローグを利用したことがあるのです。


オープンダイアローグを利用したことのある人自体、まだそれほど多くないのではないかと思います。まして、支援者でもあって、しかも自分でもオープンダイアローグをやっているのは私くらいではないでしょうか。


というわけで、そんな私が今回は「当事者視点」でオープンダイアローグ(の良さ)について語ってみたいと思います。


なお、「当事者視点」による体験談としては、オープンダイアローグの利用者の国内第1号である木村ナオヒロさんによる素晴らしい記事があります。



病院ではない場所でオープンダイアローグを利用した翌日
オープンダイアローグを利用した翌日、関東に向かう道で(令和元年5月2日)

オープンダイアローグを利用しようと思ったのは、「オープンダイアローグでないと話せない」と感じたから


「恐怖」と一人で対峙して失敗した


私がオープンダイアローグを利用しようと思い至ったのは、今年(2019年)4月半ばのことです。


そのころの私は、何故か自分の中にある「恐怖心」に強い関心を抱き、個人的に「ラスボス」と呼ぶそれと正面から向き合うという試みをしていました。



最終的に、私は自己流で「森田療法」をやり始めました(ゼッタイに真似しないでください^^;)。そして「絶対臥褥(森田療法の中核的な手法で、一週間わざと寝たきりで過ごすこと)」の2日目に、「恐怖感」に飲み込まれました。


「恐怖感」が自分ではどうにもできないほど大きくなり、「あ、これアカンわ」というレベルにまで達しました。このままだと死んじゃう(自分で)。そう感じました。



精神科の薬は効いたが、相談はできなかった


私は精神科医療の力を借りることにしました。薬で「恐怖」の一部(私の許容量をオーバーした分)を除去しようと思ったのです。不本意ながら、しかし精神科で働いていたという気安さもあり、私は3年半ぶりに精神科クリニックの門をくぐりました。


さすがに(ちゃんと機能したときの)お薬の力は偉大で、その日のうちに恐怖感はしぼみました。私はふたたび日常生活を営めるようになり、2週間と経たずにお薬は要らなくなりました。


3年半ぶりの精神科の体験は、「人の力を借りるって楽だなあ」ということを思い出させてくれました。


そのころの私には「誰かに相談してみたいこと」がいくつかありました(「恐怖」との付き合い方について等)。そのため、主治医(というほどの付き合いにはなりませんでしたが)にも「相談」してみることにしました。


とはいえ、私には「当事者としての自分が精神科医に求めるのは薬物療法のみにしておいたほうがよい」という経験則がありました。それ以上のことを求めても「医師の当たり外れ」など運に左右されてしまい、現実的でないからです。だから、今回もあまり期待はしていませんでした。嫌な予感すらしていたかもしれません(でも誰かに相談したかったのです)。



案の定、主治医との間で「相談」は成立しませんでした。


詳細は省きますが、その原因は、その診察の「場」や、そこでなされた「話」が「モノロジカル」であったからだと、私には感じられました。


「モノロジカル」とは、「対話的でない」というような意味です。お互いに「言いたいことだけ言っている」状態。あるいは「どうやって自分の言い分を通すか」の駆け引きをする、「政治的」な空間です。


私は主治医から発せられる「主治医の言いたいこと」をかいくぐりながら、自分の伝えたいことを伝えようと一生懸命でした。キャッチボールではなく雪合戦のようだと思いました。


いずれにせよ、私はその場で自分の「困りごと」をじゅうぶんに話すことができませんでした。主治医もまた、「じゅうぶんに話されていない話」を材料にして私に「助言」をしますので、当然ながら私の気持ちとはズレていきます。そうして私たちはすれ違っていきました。


強調したいのは、このすれ違いはその主治医の力量の問題ではないということです。その主治医は礼儀正しく、優秀でした。私の「恐怖」をお薬でパッと消してくれたのですから(私たちは薬物療法の方針に関してはダイアローグできていたかもしれません)。


問題は、それにもかかわらず、私たちが薬以外のことについて、対話的に「相談」(あちらの言葉では精神療法)することが叶わなかった、ということです。どちらか一方のせいではなく、これは構造的な問題だと、ユーザーとしての私はあらためて感じました。


ちなみに、主治医は私にカウンセリングも提案しました。


しかし、私から見ると精神療法と同様に、そのマンツーマンのカウンセリングが「話せる」場かどうかについても、何の保障もありません。


思えば、オープンダイアローグを学ぶようになって以来、当事者として精神科にかかったのは今回が初めてでした。


対話の学びを経て今回ようやく、これまでも無意識的に感じていたことに、当事者としての言葉を与えることができたような気がします。


やはりお医者さんとマンツーマンになる場(個人精神療法)は「モノロジカル」になってしまう。


私は、自分が既に支援者としてだけでなく当事者としてもオープンダイアローグしか信頼しなくなっているのを感じました。


オープンダイアローグを受けたい。


オープンダイアローグでしか話せない。


悲しい気持ちで診察室を出たあと、私はそう強く思いました。



病院の外でオープンダイアローグをやっている人がいる


私はある2人の人物を思い出していました。彼/女ら(女性と男性が1名ずつなので、こう表記します)とは、昨秋にダイアローグ関連のワークショップで知り合いました。


彼/女らは大きな医療機関から独立して2人だけで訪問診療所を立上げ、さらに保険診療の枠の外でオープンダイアローグを用いた実践をしているとのことでした。それを聞き、私は「自分と同じような(破天荒な)人がいたのか」と感動しました。


東京や関西に「精神科訪問看護」の枠内でオープンダイアローグ的な支援をしているところがあることは、私も知っていました。しかし、私のような「半分当事者」も利用できる(制度外の)サービスとしてのオープンダイアローグが存在するのは、そのとき初めて知りました。


そこは私の住む名古屋から車で3時間半のところにありました。私は彼/女らに迷わず連絡をとりました。


私からの突然の申し出に、彼/女らにも様々な戸惑いがあったようでした(そもそも研修仲間であり同業者でもある人を顧客にするというのは、特殊な状況に違いありません)。


しかし、最終的に彼/女らは私を受け入れてくれました。令和の初日の5月1日朝、私はオープンダイアローグを利用するため出発しました。



オープンダイアローグを受けた翌日に撮ったつくし
オープンダイアローグを受けた翌日。ピンぼけ。


「他者の助けを公然と借りる」という体験


オープンダイアローグが従来型の診察や相談と異なるのは大きく2点。「ダイアローグ」であること(対話性)と、「オープンである」ことです。


「オープン」であるということは、第一には、依頼主が「参加してほしい」と思う人(家族や友人など誰でも。ネットワークとも呼ばれる)に参加を要請し、対話を共有できるということです。


(第二には、自分に関する意見交換や決定は必ず自分の目の前でなされる、という点があります。)


オープンダイアローグを利用するにあたり、私が「ネットワーク」のメンバーとして参加を要請したのは、妻のけいこでした。


呼びたい人(参加してほしい人、分かっておいてほしい存在)は誰だろう。こういうときに妻しかいないのが私の「ネットワーク」の貧しさなのですが、それでも私は「自分の問題に関して、妻とはいえ他者の助けを公然と借りてよいのだ」という、私にとって馴染みの薄い事実に感動していました。


このことを考える作業に、既に「何か新しい、希望に満ちたことが始まっている」感じがしたのです。


オープンダイアローグでは、ネットワークチームと「支援チーム」が一堂に会します。今回は訪問診療所から2名のスタッフ(彼/女ら)が参加してくれました。彼/女らの進行で、私を含め計4名でのダイアローグが始まりました。



オープンダイアローグだから相談できた


私にとって今回のオープンダイアローグ利用でいちばんよかったのは、私にも妻以外に相談できるところができた、ということでした。「ネットワーク」が豊かになった、とも言えます。


もちろん、世の中には「相談先」がたくさんあります。医療や福祉に限らず「スナックのママ」や「占い師」等まで含めると星の数ほどあります。一見、相談先には事欠かないように思えます。


しかし、どの「相談先」も私には相談しづらいものでした。


それは、それらが基本的には「モノロジカルな」やり方をとっているからです。モノロジカルな、つまり対話的でない構造とは以下のようなものです。


・マンツーマン→当たり外れが大きい、権威が生まれる、対等でなくなる。密室。


・縦割り=まるごと話せない→たらい回し。


・じゅうぶんに話す時間がない。


・あちらの基準で診断や分析をされる、知らないところで決められる、求めてもいないのに助言される…。


私にも、もちろん、「彼ら」に相談しようとしたことはあります。しかし「相談」できたことはほとんどありませんでした。


だから、私には長らく「相談できる場所」がありませんでした。そのこと自体が「生きづらさ」と言えるかもしれません。


今回、私のような人間が安心して相談できたのは、それが「オープン」な「ダイアローグ」だったからです。



「オープンダイアローグをやっている人」は信頼できる


オープンダイアローグがよいのは、それを実施しているスタッフ(彼/女ら)自身が「対話的」な人であるということです。


オープンダイアローグは技法ではなく「態度」だと言われることがあります。「オープンダイアローグ」という枠組みやルールがあろうとなかろうと、その人の存在やふるまいがすでに「対話的」であることが求められるのです。


オープンダイアローグでは、これまで積み上げてきた専門性や権威をいったん脇に置き、ひとりの人間としてその場に参加することが要求されます。「起きていることについて最も詳しいのは本人である」「だから本人に教えてもらう」という姿勢で臨みます。


これは、専門家にとってはけっこうきついことで、一大決心です。「お前は何者だ」と問われているような感じさえします。専門家の肩書という「鎧」を脱いで丸裸になる感覚です。


だから、「オープンダイアローグをやっている」という時点で、その支援者にはある程度の信頼を置くことができます


実際に、私が助けを求めた彼/女らは、オープンダイアローグの時間だけでなく前後のやりとりでも始終「ダイアロジカル(対話的)」でした。そのこともまた、私にとって支援者への安心感や信頼感という、かけがえのないもの(これまでの人生でほとんどなかった体験)をくれました。


彼/女らは私の利用申込みを受け、「引き受ける/引き受けない」の葛藤からオープンに(率直に)対話的なやりとりをしてくれました。また、日時や場所の決定プロセスも対話的に進めてくれました(宿の心配までしてくれました)。


彼/女らにとって、私という人間はまた、場所は違えど共にオープンダイアローグを学び実践する存在でもあります。そんな「同業者」に自分の実践をさらけ出すというのは、多くの専門職にとって、なかなかできることではないと思います(怖くて)。彼/女らは、その点についての気持ちも率直にオープンにしてくれました。そのことで、私もまた安心できたのです。


これは、私自身もまたそのような支援者でありたいと思わせてくれた体験でした。



予約を入れただけで問題が解決した


今回、私は会場までの3時間半の道中で、「相談したかったこと」をだいぶ解決してしまっていました。車の中で、私は妻と、そして私の頭の中の彼/女らと、すでに内なる対話を始めていたのです。


「よい相談員の条件とは、その人の顔を見ただけで困りごとがどこかに行ってしまうことだ」と聞いたことがあります。まさにそれが起きたのだと思います。


私は「彼/女らとダイアローグができるんだ」と思っただけで、既に「大丈夫だ」という感じを得ていました(何が「大丈夫」かは定かでなかったんですけど)。


そのため、現地では、そのときその場で浮かんできたことを相談することにしました。


実際には、現場では新たに深刻な話が出てきました。これは「細かい困りごと」の露払いができていたことと、彼/女らの存在感や用意してくれた環境に安心と信頼を感じていたからこそだと思います。



日本でオープンダイアローグを利用する難しさは残るけど、「それでも大丈夫な感じ」もある


そのダイアローグ自体は、時間を延長してしまった(3時間以上話したと思います)にもかかわらず、「まだ話し足りない」「『結論』が出ていない」という感じがしたまま終わりました。


とはいえ、これは通常のことです。実際、本場フィンランドのオープンダイアローグでは、必要なだけ何日も連続でダイアローグの集まりが開かれることになっています。


私もそうしたかったのですが、日本のオープンダイアローグの現状では難しい面が多々あります。距離や費用の制約があるためです。


私はいったん日常に帰ることにしました。次回のことは、その場では決めませんでした。これには、対話によって私の無意識の中に変化の種がまかれているはずと考え、その芽吹きを待つ時間をとるという意味合いもあります。


いずれにせよ、もう私には彼/女らがいる。私にも相談できる相手がある。そのことが私に「だいじょうぶ感」を与えてくれているのも感じました。



ダイアローグの後も内なる対話が続く


5月1日にオープンダイアローグを利用した私と妻は、翌2日、その足で関東へ向かいます。私たちは5月3日から「オープンダイアローグトレーニング基礎コース」の受講を始めました。



トレーニング中、私の中ではたくさんの変化や「内的対話」が起きました。それは、その直前に受けていた「初めてのオープンダイアローグ」が呼び水になって起きたのだと私は感じています。



まとめ


というわけで、「オープンダイアローグをやっている支援者が、当事者として初めてオープンダイアローグを利用してきた話」を書きました。長くなりましたが読んでいただいてありがとうございます。


それは「ダイアローグでしか相談できない」という思いから始まり、「ダイアローグなら相談できる」という希望にたどり着いた旅でもありました。


先に「支援者」「当事者」と書きましたが、私にとって、これらは分けて考えられるものではありません。私はとにかく「対話的」でいたいし、「対話的」な人と「対話的」な空間にいたいだけなのです。


私はまだ2回目のダイアローグを開いていません。時間、距離、お金、立場など、いろいろな条件や制約があるため、続けられるかもまた定かではないのです(そのことについても、彼/女らと対話してみたいと思います)。


ただ、オープンダイアローグがもっと身近で利用できるようになってほしいし、身近な「相談先」がもっと「対話的」になってほしいとも思います。そのような体験を皆さんにもしてほしい。


私は「相談室おうち」や「対話の勉強会」「アトピーお茶会」などの活動や、日常生活そのものを通じて、自分自身がより対話的になり、もっとダイアローグの中で生きられるように、自分のできることをやっていきたいと思います。


ダイアローグファミリーの一員として。


 


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