ご無沙汰しております。この1ヶ月間、個人的に多くの気づきや学びを得ながら暮らしておりました(おいおいブログに書いていきたいと思います)。
今日は、私と妻が5月3日から受講を開始した「オープンダイアローグ トレーニング基礎コース」のレポートを書きたいと思います。
(本コースでは、学びの一環として受講ジャーナルを書くことが推奨されており、私は本ブログをもってそれに代えたいと思います)。
(2019/05/14記:各日のレポートはカテゴリ「オープンダイアローグについて」にまとめています。)
「オープンダイアローグ トレーニング基礎コース」とは
「オープンダイアローグ トレーニング基礎コース」とは、「オープンダイアローグ」を集中的に学び、その提供方法をトレーニングする、1年間にわたる研修です。課程は4つのブロックに分かれており、5月3日から第1ブロックの第1クール(3日間)が始まりました。会場は東京です。
本コースの主催は「オープンダイアローグ」の日本での普及団体「オープンダイアローグネットワークジャパン(ODNJP)」です。開催は2017年度以来で、今年が第2期です。今期は全国各地から約90名の応募があり、40名余が受講者として選ばれたとのこと(今期、愛知県からの受講は私たちのみでした)。
このブログではちょこちょこ書いていますが、「オープンダイアローグ」はフィンランド発祥の「開かれた対話」を用いた精神療法です。もともとは急性期の精神疾患の患者さんを対象にしており、旧来の薬物療法や入院処遇を非常に少なくできることが実証されています。
この「オープンダイアローグ」は、現在では広い意味でのメンタルヘルス(こころの健康)の領域全般や、さまざまな人間関係にともなう葛藤にも応用されています。
日本への「オープンダイアローグ」の導入(紹介)は、斎藤環さんによる解説本が出版された2015年ごろから本格的に始まりました。現在ではいくつかの医療機関(病院、訪問診療所、訪問看護ステーション等)で、精神疾患の患者さんや「ひきこもり」状態にある方を対象に実用化され始めています。
私たちの「相談室おうち」もそのような試みの(最も草の根的な)ひとつです。
コース初日の「内的対話」
私がこのブログ(受講ジャーナル)に記そうと思うのは、「オープンダイアローグ」についての知識や情報というよりも、むしろ受講中に私の中で起きていたことについてです(「オープンダイアローグ」では、それを「内的対話」と呼び、重視します)。
以下、コース初日における、私の ”内なる対話” を言葉にしていきたいと思います。
◆定刻前に感極まる
第1クールは基本的に、40名余りの参加者と2名のフィンランド人講師、そして運営スタッフがひとつの大きな輪になって座るという形で進みました。
5月3日の夕方、その輪の全体を見渡しながら、私は自らの内側に問いかけ、耳を澄ませました。「いまここにいる?」「どんな気持ち?」
私は、自分の中の「ずっとここに来たかった」という想いに気が付きました。
私はずっとここに来たかった。3年前のちょうど今ごろ、5月1日に日本を飛び出してフィリピンに渡った私は、「オープンダイアローグ」の開発者2人が初めて日本に来る、その3日間のセミナーに参加するために5月13日に一時帰国しました。私は、「そのときからずっとここに来たかった」のです。そんな気がしました。
そして、来れた。
次につかまえたのは、そんな感覚でした。
「来れたんだ」という感慨が次に湧いてきました。すごい。来れたんだ。すごい。
さらに私がキャッチしたのは「感謝」でした。
私がここに来れたのは妻のおかげです。妻がここまで私の人生を支えてくれたから、私はここに辿り着けたのです。「やりたいこと、全部やりなよ」と妻が言ってくれたから、私はここにいるのです。
そこから芋づる式に「感謝すべき人」が浮かんできました。
会場にいる40名余りの同期生。私をここに置いてくれてありがとう。
運営に携わっているODNJPの人たち(多数の1期生を含む)。コースを開いてくれてありがとう。コースを受けさせてくれてありがとう。
そこからもう、どんどんどんどん「ありがとう」な相手が浮かんできて、とてもここには書ききれません。
私は心の中では既に号泣していました。さっきから横隔膜は実際に震えています。「やばい人だ」と思われたくないので、実際に号泣するのは何とか止めました。そんな状況を、隣の席にいた妻に伝えました。
妻は「おい、もう早やか!ちょっと待て(笑)」と言いました。確かに、まだコース開始の定刻すら来ていなかったのです。
◆私とフィンランド
初日の最初ということで、フィンランド人講師(ミアさんとカリさん)から、あらためて「オープンダイアローグ」の概要について説明がありました。
2人が用いたスライドには、「オープンダイアローグ」を生んだフィンランド北部「西ラップランド地方」の風景が映し出されます。
実は、私は上述のとおり2016年5月に日本を飛び出し、フィリピン→東京(オープンダイアローグのセミナー)→フィリピンへ戻る、と移動したあと、さらにフィンランドに飛んでいたのでした(以来、私はフィンランドに計4回行っています)。
スクリーンに映し出される西ラップランドの写真を見て、私はその旅のことを懐かしく思い出していました。
当時はまだオープンダイアローグのフィンランド現地研修に参加しづらい状況だったのですが、私はチャンスを待てず、世界放浪の一環として個人的にフィンランドへ渡りました。
現地には何のツテもありませんでした。しかし、私には「とにかくフィンランドの空気を吸いたい」という気持ちが強くありました。「オープンダイアローグ」を生んだフィンランドの空気に身を浸したい。そんな衝動から、私はマニラ発ロンドン経由ヘルシンキ行きの飛行機に乗りました。そして、ヘルシンキから一路、ラップランドを目指したのです。
実は、フィンランドは私にとって「全くの未知の土地」というわけではありませんでした。
というのは、私の生まれた町(北海道の旧常呂郡端野町)は、フィンランド中部のオウルンサロという町と姉妹関係にあったからです。
そして、そのコーディネートをしたのが私の両親だったからです(父は町役場に勤めていました)。
80年代のなかごろ、私がまだ本当に小さかったころ、何らかの理由で父だけがフィンランドに行ったようです。そのころから、我が家の菜園には珍しい植物が植わるようになりました。カリンズ、ルバーブ、グスベリー…。それらがフィンランドでポピュラーな植物であると知ったのは、もう少し大きくなってからです。
90年代のなかごろになり、父の活動に母も加わるようになりました(母は僻地では希少な、英語を話せる人材だったのです)。私の故郷はフィンランドの小さな町と「姉妹」となり、私の妹は先方へ留学しました。
しかし、私がフィンランドへ行くことはありませんでした。
2016年6月、「懐かしいフィンランド」に初めて降り立った私は驚きます。
「ここ、俺が生まれた町やん!」
私が見たフィンランドは、私の故郷である道東地方とあまりにもそっくりだったのです。
白樺の林、雑草の植生、家の造り、家と家の間隔、空気、風、気温、湿度、空の広さ、水の冷たさ、光…。
私はしばし呆然としました。
他方で、少しすると故郷とフィンランドとの違いにも気がつくようになりました。
フィンランドでは日本によくあるような「うるさい商業看板」がほとんどありません。家のデザインもおしゃれで機能的です。人は穏やかで、皆どこか知的な雰囲気をまとっています。家族も仲良さそうに見えます。
ひとことで言うと「幸せそう」なのです。
私は、「もしかしたら父はフィンランドに理想郷を見ていたのではないか」と考えるようになりました。
父はフィンランドの幸福のエッセンスを「我が町」に持ち込もうとして、珍しい植物を植えたり、まちづくりをしたりしていたのではないか。
そんなふうに考えるようになりました。
長らく、私は自分の原家族のことを「機能不全家族」とみなしてきました。また、自分のことを「アダルトチルドレン」であると規定して、リカバリーを続けてきました。
(関連記事:子どもの私が願っていたこと①)
(関連記事:アダルトチルドレンだけど親をほめる)
それらのことが私の回復に大きく寄与したのは事実です。
他方で、私は「フィンランドいいよね!」という点では父や母と一致しています。
それは、私と父や母の理想とする幸福のイメージが一致するということです。
私に数々の否定のメッセージを与えた存在と「幸福のイメージ」が一致する。これほど不可思議なことは、私にとってありません。
悲しいかな、実家にいた頃は父や母という「他者」と、その不思議について対話をすることが叶いませんでした(もっとも「対話」という概念がなかったのですが)。
2016年のフィンランドで、そんなことを私は考えていました。私を乗せた特急はラップランドのKemiという駅へ着き、私はそこからバスでTornio(トルニオ)という町へ足を伸ばしました。
トルニオは「オープンダイアローグ」発祥の町です。私はバスターミナルから「オープンダイアローグ」が生まれた精神科病院まで、5kmの道のりを歩きました。
その幸福な旅のことを思い出し、2019年5月の東京で私は再び泣きそうになっていました。既に講義が始まっていたため、「泣きそうなんだけど」と妻に話しかけるのは控えました(僕にだってそのくらいの判断能力はあります byイチロー)。
◆荒ぶる内的対話
その日の研修が進むに連れ、私は自分の「内的対話」が荒ぶっていくのも感じました。
「このオープンダイアローグへの熱い想いを分かってほしい」「(上に書いたような)私とフィンランドとの関係を、マイクを要求して全参加者に語って聴かせたい」という欲求を感じました。
また、「これまでの精神科ソーシャルワーカーとしてのキャリアについても語りたい」という衝動も感じました。
それは、他の受講生の多くが現役の医療機関職員、つまりは医師や看護師だったからです。
私は、彼らと初めて会ったにもかかわらず、これまでのことについて怒りを感じていました。
業界のタブーである「社会的入院」問題に真正面から取り組んだ、精神科医療の世界でのキャリア最初の数年間は、若かった私にとってトラウマティックな戦闘体験だったのです。そして、その相手は医師や看護師でした。
戦場の傷がまだ癒えていないことを、私は痛感しました。なぜなら、初めて会ったはずのお医者さんや看護師さんに、過去の恐怖や怒りを蘇らせてしまっているのですから。
研修といえば質問魔として挙手しまくるのが常な私ですが、今回の3日間ではいちども自分から手を挙げませんでした。
かわりに、私は内なる怒り、荒ぶる内的対話に沈むことにしました。私の訴えに耳を傾けるべきは、まずは私自身だと思ったからです。
◆「いまここにいますか」
上記のような「荒ぶる内的対話」をちゃんと聴けたのには、ひとつのラッキーな理由がありました。
その日の朝から、私は「いまここにいますか」と自分に問いかけるということを始めていたのです。
これは、自主的に開催している「対話の勉強会」で読んだ「非暴力的コミュニケーション(NVC)」についての書籍に書いてあった智慧です。
NVCは、私の言葉でいうと「支援者がいない場面でも自主的に対話をするための方法」です(「非暴力的」はほとんど「対話的」と言い換えられると思います)。
勉強会では、上記の本を昨年の夏から読んでいました。そして、私の脳は令和元年の5月3日の朝、突如として「いまここにいますか」という声掛けを自分に対して始めたのです(少し前の4月28日に直近の「対話の勉強会」があり、そのときに当該箇所を読んでいたことが影響したのかなとは思います)。
「いまここにいますか」と尋ねると、(内なる)私は「怒ってるよ!」等と応えてくれます。そのことによって、私は上に書いたような自らの「怒り」「承認欲求」「戦闘体験の恐怖」を、ごまかさずに傾聴できました。
講師への質問や他の受講生への意見という形をとった(的はずれな)攻撃や怒りの表出ではなく、「聴いてほしい」という自分自身の気持ちに自分で向き合うことが、ある程度できました。「そうか、つらかったんだね」と分かってあげることができました。
とはいえ、これは私にはまだまだ難しいことなので、たいへん疲れましたし、他のこと(外的対話、つまりは他の参加者との対話)まで手が(脳が)回りませんでした。
◆安全保障感
研修開始にあたり、「あなたのしたくないことをさせるつもりはない」とか「休憩は非常に重要であり、必要な人は外を出歩いてもいい」等といったことが早いうちにアナウンスされました。それは、私にとって非常にありがたいことでした。
私がこれまで受けてきた「研修」「学びの場」は、ことごとく「学ぶとは苦しいこと」「侵襲を乗り越えてこそ自己変革がある」みたいな思想のもとにありました(と私は感じています)。
そんな「苦しくてなんぼ」みたいな考え方が私は嫌でした(怖いです)。
もちろん、「オープンダイアローグ」の研修でも、私とは異なる他者の考えに触れたり自分の(荒ぶる)内的対話に沈んだりするため、苦しいことはあります。
しかし、「苦しむこと」が目的ではないのです。「苦しむこと」が「成長」の条件として設定されているわけではないのです。だから安心して苦しむことができます。そうしたい人は、自分の選択として。
「侵襲されない」「自分で選択できる」ということが予めアナウンスされているのは、私にとっては非常に安心できることでした。
つづきます
というわけで、「オープンダイアローグトレーニング基礎コース」の第1ブロック第1クール初日のレポートを書きました。
長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございます。
今後、2日目と3日目のレポートも書く予定です。よかったらお付き合いいただけるとうれしいです。
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