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私のストーリー(ふゆひこ)

更新日:2020年6月1日


with Santa
2016年夏、プチ放浪中にフィンランドにて

この記事は、「相談室おうち」を開設するに至るまでの、私のリカバリーストーリー(回復の物語)です。


以前は「相談室おうち」のサイトのプロフィール欄に載せていましたが、長いのでこちらに移しました。


読んでいただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます。



何とか大学を卒業する


私も「生きづらさ」を抱えながら生きる人間のひとりです。私にとって、それはとても重要なことです。

振り返ったとき、子どもの私は家庭と学校とで、たくさんの逆境的な体験に遭っていたように思います。


傍目には細かいことかもしれないけれど、主観的には本当にいろいろなことがありました。


(この辺りのことは、詳しく書くのがだんだんとはばかられるような感じになり、書き直すたびに削除しています。過去に関して誰かや何かを責める気持ちが薄らいできたからだと思います。)


心身に明らかな異変が現れたのは大学受験の迫るころです。朝、起きられないことが多くなりました。

かろうじて大学には入ったものの、その直後から「スチューデントアパシー(学生無気力症候群)」や「ひきこもり」のような状態となりました。

就活や卒論のころには、生きるのを止めることも試みました。休学や学生相談室の利用などを経て復学し、何とか卒業しました。

専攻していたのは哲学。卒論のテーマは「他者を尊重するとはどういうことか」にしました。振り返れば、私はこの頃すでに「ダイアローグ」を探し求めていたのだと思います。


就職して燃え尽きる


‘06年、精神科ソーシャルワーカーとして四国の医療機関に就職し、同時に、初めての結婚をしました。

人の心に関する仕事をしているにかかわらず、私は自分のこころが傷だらけであることに気がついていませんでした。

「社会的入院の解消」という精神科医療のタブーのような課題に真正面から挑む中で、いわゆるワーカホリック(仕事依存)となり、自分や家族を犠牲にすることが当たり前になっていきました。

私は初めての「バーンアウト(燃え尽き症候群)」を体験することになります。2週間の休養の後、「精神科のお薬を飲みながら精神科の患者さんの相談にのる」という日々が始まりました(さらに離婚も経験しました)。

そんな中、北海道浦河町にある精神疾患当事者のコミュニティ「べてるの家」を視察に出かけ、そこで東日本大震災に遭いました。

現地の避難所で、いつしか私は「べてるの家」の当事者さんに人生相談をしていました。

ひとしきり話を聴いてくださったあと、その方は「あなたも当事者研究員になってください」との言葉をくださいました。「当事者研究」とは「べてるの家」の代名詞で、自らの身の上に起きていることを、専門用語ではなく自分の言葉で解き明かす取り組みのことです。


私が自らの「当事者性」に目を向け始めたのはこのときだったように思います。

翌'12年、私は愛知県に戻りました。震災のあと、「したいことをしよう」という気持ちが芽生えていました。就労支援施設の管理者をしながら、’13年、現在の妻であるけいこと入籍しました(彼女はかつて一緒にアメリカ研修に参加した仲間でした)。

その直後に2度めのバーンアウトに襲われ、休養中はひきこもっていましたが、これを機に回復(リカバリー)にも意識的に取り組むようになりました。

その後、ひきこもり状態にある方のご家族の会や、障害を持つ方のために市町村が設置する「基幹相談支援センター」等で、複数のお困りごとを抱える家庭の相談援助の業務に従事しました。

この頃から、私は自分の中にずっとあった「違和感」に自覚的になりました。


それは、一言でいうと「自分がユーザーだったらされたくない支援を、支援者の自分が当たり前にしている」ということでした。

たとえば、医療福祉の世界では「本人不在の場所で本人のことを決める」ことがあります。


あらかじめ当事者のいないところで結論を決めておいてから「ケア会議」を開催することなどが、その代表例です(精神科医療をご利用中の方には、ご自身のためのケア会議にもかかわらず、その場に招き入れられたのが途中からだった、というご経験はないでしょうか)。

また、当事者の必死の訴えが、専門職によって「症状」や「問題行動」と一方的に解釈されてしまうことも、しばしば起こります。

上記のような「現実」に、自分の当事者性を隠しながら専門職側の人間を演じて加わっていることで、私は心が引き裂かれるような感覚を強くするようになりました。


そして、「自分が受けたくなるような相談援助をしたい」という思いが膨らんでいきました。



オープンダイアローグと出会い、相談室おうちを作る


‘15年、けいこが大病をしたの機に「人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことをやろう」と強く考えるようになりました。

彼女の許しを得、私は翌年から国内外のプチ放浪を始めました。

「オープンダイアローグ」に出会ったのはこのころです。オープンダイアローグは、上記のような医療福祉の「現実」における私の葛藤を、ことごとく解決してくれるものであるように思われました。

子どものころ、家庭や学校が対話的であったなら、とも・・・。

感動のあまり「フィンランド人になろう」と思い、遠く北欧で大学受験までしてしまいました(入学は見送りましたが、いちおう合格しました^_^)。


最終的に、私は日本の医療福祉の相談支援に「オープンダイアローグ」を持ち込むことを考えるようになりました。少なくとも、私自身はもう、対話的にしか支援の仕事をしたくない・・・。

私の願いは子ども時代から変わっていません。

せっかく家族でいるのだから、仲良くしたい。

患者さんもご家族も支援者も、尊敬し合って、チームとして機能してほしい。

ただそれだけです。

そのための方法・哲学こそ「オープンダイアローグ」だと、私は信じています。私はそれにやっと出会いました。


そして「人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことをやろう」と思い、オープンダイアローグでソーシャルワークをする「相談室おうち」を作りました。




私の現在の目標は「わたしになること」です。


「対話的に暮らすこと」と言ってもいいかもしれません。

自分自身とも対話して、「わたし」の感覚や気持ちを後回しにしないようにする。応答してあげる。

それが、一人の「経験専門家」として回復することだと思っています(フィンランドでは当事者のことを「経験専門家」と呼ぶそうです。その人の人生をただ一人経験したことのある、いちばんよく知っている専門家として尊敬されるのです)。

また、私は安心して「おうち」にいられることも幸せで幸せで仕方ありません。ちなみにスピッツのファン(ブリーダー)歴は四半世紀、藤井聡太七段のおかげで「観る将」にもなった今日このごろです。


(最終更新日 2020/05/26)

 

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